2009年01月16日(金) 15時01分
阪神大震災14年:信頼・とらすとK/5止 琴平高生と神戸の被災者文通 /香川(毎日新聞)
◇忘れない震災の記憶
「震災の時はどこに住んでたんですか?」「けがは?」
県立琴平高2年の近藤梨加(17)と直井八重(17)は今月7日、神戸市中央区の復興住宅に住む田中裕子(56)を訪ねた。「震災の話を伺いに来ました」。田中の友人で別の棟に住む船越利美子(61)も訪れ、4人でこたつを囲んだ。
田中は同市灘区で被災。自宅は全壊したが、家族4人にけがはなかった。船越は当時、中央区のマンションにいた。タンスが倒れてきたがベッドにひっかかり、難を逃れた。
2人は仮設住宅を経て99年から現在の復興住宅に移った。約5年前、夫が同じ病院に入院していたのを機に親交を深めた。
「あれ、ガラスないでしょ?」と田中は食器棚を指さした。震災から半年後、崩れた自宅から引っ張り出した。割れたガラスをはめ直してはいない。「あれだけ大きな災害を忘れることなんてできない。みんなもう口にはしないけど、心の中には絶対ある。それを口に出すか出さないかは人それぞれ。私はこうやって聞かれると話すぐらい」と田中。船越も「いつまでも後ろは向いてられん。私もあまり話はしたくない。でも一生忘れないわ」と話した。「知らない若い子が知ろうとすることはいいこと。いつまたどこで大地震が起きるか分からない」
被災者との文通で始まった「とらすとK」。文通だけでなく、復興住宅内にある介護老人福祉施設で高齢者との交流会を07年7月まで計4回開いたが、触れ合いを楽しむばかりであまり話が聞けない。文通相手は何人か亡くなった。
「もっと話を聞きたい」と昨年から戸別訪問に切り替えた。昨年1月、7月に続き3回目となった今月6、7日の訪問は、15人が参加。数人のグループに分かれ、自身の文通相手など延べ約20人から話を聞き、報告し合った。神戸から帰途のフェリー内で今後の方針について意見を交わした。「交流の形は変わっても続けていくことが大事」と教諭の金丸仁美(44)。
「とらすとK」は今月20日、3年から近藤ら2年の代が最上級生になる。6代目となる近藤は言う。「一人一人、震災の受け止め方が違う。交流会や訪問で視野が広がって自分自身も成長できた。震災を通じて知り合った人たちと、これからも付き合っていきたい」(敬称略)【三上健太郎】=おわり
1月16日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090116-00000184-mailo-l37