2009年01月15日(木) 20時01分
【つなぐ「震災の若き語り部たち」】(3)「離れても恩返し」発信 同志社大学社会学部教育文化学科、福井麻里子さん(20)(産経新聞)
「地震や、布団かぶっとき!」。闇の中で響き渡った父の声が今も耳に残る。
平成7年1月17日、6歳だった福井麻里子さん(20)は兵庫県西宮市の自宅アパートで被災した。建物は全壊、小学校の体育館で1週間避難生活を送った。食べ物をもらうために並んだ炊き出しの列や、離れた場所にあるトイレに夜1人で行けず母についてきてもらったこと、父と見に行ったつぶれた自宅。
・ライブで語り継ぐ平松愛理さん
断片的に残る記憶だが、両親の背中ごしに見た震災は衝撃だった。当時の絵日記にこうつづった。
「まさかこうべしには、こんな大きなじしんはこないとおもったよ」
大阪市の祖母宅に一時身を寄せた後、堺市北区に移り住んで新生活が始まった。しかしある日、テレビに映る悲惨な神戸の街を見て、子供心に「自分だけ恵まれた境遇でいいんだろうか」という罪悪感が胸を締め付けた。
震災を思い出したくないという家族に打ち明けられず、堺で通い始めた学校で友人に震災の話をすると「かわいそう」と言われた。壊れた街や多くの被災者に何もできない。周囲には共感してくれる人もいない。「自分の居場所がわからなかった」という。
転機となったのは、19年6月に初めて西宮市を訪れたとき。1人でアパート近くの路地を歩き、避難所だった体育館をのぞいた。当時の面影を残しながらも変わってしまった町並みに寂しさを覚えた。住み続けている住民と会い、復興時の様子を聞いた。もっと地震について知りたいと思う一方、「自分と同じように、兵庫を離れた被災者が話せる場所を作りたい」という気持ちがふくらんだ。
数日後、インターネットの交流サイト「mixi(ミクシィ)」に県外被災者向けの掲示板「離れても、忘れない。阪神大震災」を開設。続々と仲間が集まり、今では元住民だけでなく震災について強い思いを持つ人が加わり200人以上の会員数となった。
掲示板でのやりとりだけでなく、震災に対する思いを形にして発信しようと17日には、仲間たちと「阪神淡路大震災アカペラチャリティーライブ〜伝えていきたい想いがある〜」をLIVEBAR「感謝」(大阪市東淀川区)で開催する。入場料は震災追悼式典の運営費として寄付する。
近年相次ぐ自然災害に防災意識は浸透しつつあるが、「でもまだまだ」と福井さん。「防災は身近で普通のこと。大学生同士の会話の中に『防災やってる?』なんて言葉が出てきたりしてもいいくらい」と笑う。
震災の日、幼い瞳に映ったのは自分を守ってくれた両親や、ボランティアとして駆けつけてくれた大勢の人々だった。
「助けてくれる人がたくさんいた。あのときは子供で何もできなかったけど、恩返しをしたい。自分にできるのは、震災について発信していくことだと思うから」(木ノ下めぐみ)
【関連・震災の若き語り部たち】
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(1)鉛筆から学んだ感謝 神戸学院大法学部4年、岸本くるみさん(21)
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(4)自分なりの震災体験を 関西学院大学総合政策学部3年 岩崎亮太さん(21)
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090115-00000596-san-soci