2009年01月15日(木) 16時01分
阪神大震災14年:信頼・とらすとK/4 琴平高生と神戸の被災者文通 /香川(毎日新聞)
◇心のつながりが支え
「私の手紙は本当に支えになっているか」
被災者の心の支えになれば、と始まった県立琴平高の「とらすとK」の文通活動。2代目の桧垣直美(21)は卒業してからも文通を続けてきた。しかし交流を深めるにつれ、疑問が大きくなっていた。
桧垣が親しく交流する一人に、神戸市中央区の復興住宅で暮らす工藤巧(78)がいる。05年3月末、2年生だった時、桧垣は、「よろず相談室」主宰の牧秀一(58)に神戸市を案内してもらい、工藤と出会う。以来、手紙のやり取りを重ねるうち、学校での出来事から進路の悩み、不安など家族や友人に言えないことも書けるようになった。だが、「いつの間にか自分が励まされてばかり。力になってあげられてるのかな」と思うようになった。
福祉系の専門学校での卒業研究のテーマは「震災を受けた高齢者の生きがいの喪失と再構築について」とした。
それまで、震災以後の話しか聞いたことがなかった。震災前にさかのぼって話を聞くことで、相手の心の変化を知ろうと思った。07年10月、工藤ら2人の文通相手にインタビューした。
工藤は2時間以上、自分のこれまでを語った。大分県佐伯市生まれで、高校卒業後に神戸市に出てきたこと、電気店を転々としたこと、そして「生きがい」だった仕事を震災で奪われたこと……。「あんなに話したのは直美が初めてや」と工藤は振り返る。
長田区にあった工場は震災で全壊、自宅も半壊した。復興住宅での暮らしは孤独感にさいなまれた。自殺を考えるようにもなった。「生きとったって」
しかし工藤の気持ちは、桧垣らとの出会いで一変した。請求書ぐらいしか届かなかったポストに、花柄の封筒が届き始めた。「元気が出た」。工藤は施設の職員やスーパーの店員ら、周囲と積極的にかかわり始めるようになっていった。「生きられるだけ今生きてみようと思う」。今はこう思える。
桧垣は昨春、専門学校を卒業し、三豊市内のデイサービスの施設で介護福祉士として働く。
「誰かとつながっていることを確認できる方法の一つが『手紙』。お互いがお互いのことを思っていることで、少しは力になっていると思う」(敬称略)【三上健太郎】
1月15日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090115-00000202-mailo-l37