2009年01月14日(水) 16時10分
震災から14年 両親失った大学生 四川震災孤児に遠い日の記憶重ね(産経新聞)
■描けぬ未来「素直に生きればいい」
阪神大震災で両親を失った西山雅樹さん(21)=日本社会事業大3年=は昨夏、震災遺児などを支援する「あしなが育英会」(東京都)の使節団として中国・四川大地震の被災地を訪れた。突然、親を亡くした子供たちの姿に、14年前の自分が重なった。彼らの未来に、孤独に苦しんだ自分の過去が見える気がした。将来の夢は「困っている子供を助けること」。でも、家庭を持つ未来は描けないままだ。
西山さんは小学1年のとき、神戸市兵庫区の自宅で被災。雅樹さんと兄、祖父母は無事だったが、隣の棟の1階で寝ていた父母が、家の下敷きになって亡くなった。当時のことははっきりと覚えていない。
小学校を卒業し、埼玉県の全寮制の中高一貫校に進むことになった。神戸の友達と離れたくない。本当は行きたくない。そんなわがままを言えないまま、両親と過ごした神戸を離れた。
学校で「神戸出身」というと、必ず地震のことを聞かれた。人には見えない、心の傷が痛んだ。孤独感に襲われる日もあったが、たわいもない話ができる友人にも出会えた。今は、都内の寮から大学に通う。
昨年7月、あしなが育英会の「心のケア使節団」として四川省を訪れ、地震で親を亡くした子供たちと交流した。小学校の仮設校舎で絵を描いたり、コマで遊んだりした輪の中に、落ち着きのない男の子がいた。
「まだ、自分が当事者という意識がないのだと思います。親がいないという現実がきたとき、彼らがどう考えるかが心配です」
自分も同じだった。両親の死を受け入れたり、受け入れられなかったり、「ずっとそのはざまで揺れていた」。遺児が集まる行事にたびたび足を運んでいた小学3年のころ、ふと自分の中の何かが変わり、現実と向き合い始めた記憶がある。
「中国で何ができるか分からないけど、例えば『あしなが』のようなことをする組織や、今自分がいる寮のようなものも必要。遺児の数も多いし…」。この先彼らを待ち受ける困難が分かるだけに、今後が気がかりだ。
両親はドライブが好きで、家族4人でよく須磨や明石の海岸沿いをドライブした。幸せな、遠い日の記憶だ。だが「結婚はしない。家族は持ちたくない」という。
14年間、振り返るといつも、周りの人に甘えられない自分がいた。昔の自分に会えるなら「もっと素直に生きればいい」と言ってやりたい。それができない分、将来は自分のような子供に手を差しのべる仕事がしたいと思っている。
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