2009年01月13日(火) 23時58分
【つなぐ「震災の若き語り部たち」】(1)鉛筆から学んだ感謝 神戸学院大法学部4年、岸本くるみさん(21)(産経新聞)
「きゅ、う、え、ん、ぶっ、し」
神戸市兵庫区で被災した岸本くるみさん(21)=神戸学院大法学部法律学科4年=は、小学2年で初めてその言葉を知った。
「救援物資」という漢字も、それが正確には何を意味するのかも分からなかったが、震災直後身の回りにあふれていた言葉だった。
・震災で逝った太陽のような少女
「その鉛筆、お前の名前とちゃうやん」
「きゅうえんぶっしでもらったやつやし」
「そっかー、おれもめっちゃあるで、きゅうえんぶっし」
当時、クラスの友達とよくそんな会話を交わした。そして岸本さんが震災の記憶を語るのに欠かせないのが、救援物資でもらった1本の赤い鉛筆だ。
地震後、通っていた小学校は避難所となり、授業が再開されたのは約1カ月後。自宅は無事だったが周辺地域の被害は激しく、学校には段ボール箱に入った救援物資がよく届けられた。
業者からの救援物資は、全部新品でどれも同じ。一方、「文具」とだけ書かれていた箱に雑多な物が入っていて、そこから各自が必要な物を取ることもあった。1ダース入りの赤い鉛筆も、そんな箱の中にあった。
「新品だと思ってあけたら、鉛筆に『おうぎたにやえ』と名前が刻まれていたんです。不謹慎ですけど、嫌だなあって」
しかし14年が経ち、あの時は分からなかったことが分かるようになった。
「全然知らない人、たぶん一生会うこともない人のために、自分の物を手放してくれた人がいる。いらない物だったかもしれないけど、もしかしたらすごく大切な物だったかもしれない。もらったのは物だけじゃなかったんだって、気づかせてもらいました」
震災の混乱の中、たまたま自分の手に渡った鉛筆。手元に残っている最後の1本は宝物だ。もしいつか「おうぎたにやえ」さんに会えたら、感謝の気持ちを伝えたいと考えている。
岸本さんは防災教育を推進する県立舞子高校の環境防災科に1期生として入学した。進学した神戸学院大でも、学部の枠を越える「防災・社会貢献ユニット」に発足時から所属しており、震災後神戸に根付いた防災教育の“申し子”だ。
4月からは、青年海外協力隊員として中米のエルサルバドルに赴き、防災教育などの任に就くことが決まっている。
「防災って、難しい技術や理論の話をしても議論の根底は結局、命を大事にするということに帰する。防災を考えることは、人間の命や生き方を考えること。そこが好きなんです」
もちろん、エルサルバドルにも赤い鉛筆を持っていき、自分の震災体験を語るつもりだ。(杉村奈々子)
◇
死者6434人を出した阪神大震災から、17日でまる14年を迎える。時とともに体験の風化が懸念される中、震災の教訓を次世代に語り継ごうと「人と防災未来センター」(神戸市中央区)が昨年、初めて「若き語り部」を募集した。当時小中学生だった10〜20代の若者たちは、震災を「記憶」する最後の世代。幼い記憶をたどり、子供らしい率直な視点で語られる震災には、大人が語る震災とはまた違う「気づき」がある。5人の若き語り部たちに話を聞いた。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090113-00000653-san-soci