2009年01月13日(火) 18時11分
【渡辺氏の離党会見】(下)「政策に『官僚主導から政治主導へ』を掲げる」(産経新聞)
−−共感した人がいれば、衆院選で候補として候補擁立を考える可能性は
「運動の展開次第でありますけどれも。志を同じうする人たちがやはり、『国政の場である程度の勢力を確保しなければいけない』という話になってきた場合にはそういうこともありうるかと思います」
−−離党声明にある「危機認識を持つ同志」とはだれか。どうやってその人たちと協力するのか
「え〜、自民党のなかは今『安政の大獄』というような、非常に重苦しい雰囲気が漂っていますので、今、わたしがここで名前を挙げれるなどということをすればそういう人たちは弾圧されます。お名前はあげるわけにはまいりません」
−−では、どのような協力を考えているのか
「そうですね、国民運動というのは、まさに東京でやるのではなく、全国でタウンミーティングの様なことをやっていくことになろうかと思います。そういうところに、参加していただくということはありうるのではないかと思います」
−−離党を決めるまでの数日間で野党の民主党のだれかと連絡をとったことはあるか
「ありません」
−−国民運動ではどのような政策を掲げるのか
「理念のほうは『官僚主導から政治主導へ。中央集権から地域主権へ』。つまりこの国の最大の問題は、霞ヶ関が政治をコントロールしている。霞ヶ関が天下りネットワークを通じて民間もコントロールする。霞ヶ関が地方もコントロールする。これが最大の問題なんですよ。霞ヶ関のコントロールを全面転換するのが、一番の基本になります」
−−次期衆院選は無所属で立候補するのか
「今日から無所属になりましたので、しばらく無所属で、国民運動、国民会議を立ち上げていくことになろうかと思います。まあ、選挙の間際に、この運動がどういう展開になるか分かりませんので、選挙の時どうなっているかは、ちょっと今の時点で何とも申し上げられません」
−−すでに栃木3区での自民党県議団で支援組織ができているようだが
「自民党の、地元の県議団は彼らは彼らなりの県政の課題があるでしょうから、ま、わたしと行動を共にしろということは申し上げません。ただ、あの、地元の市議会ではわたしを激励してくれる檄文とか、これは大田原市議会。それから那須塩原市議会では昨日(12日)集まって、私を応援する議員集団を作っていただいたそうでございます。こういう動きは私にとってとっても心強い動きだと理解しています」
−−自民党県連内での話し合いは
「特にやってはおりません」
−−提言で早期解散を求めていたが、自民党のなかでは
「そうですね。自民党の中でどういう動きがあるか分かりませんが、一番正しいのは、どっかの時点で衆院を解散し、国民の信を問うことだろうと思います。もし、そういうことをやらずにダラダラと政権維持のための政治をやり続けていると、自民党の中から総裁リコールが起こってくるのかもしれませんね。いずれにしても私はもう自民党をとは決別して麻生さんには辞めてほしい、早く総選挙をやってくださいと、と言っている立場なので、自民党の動きにはいちいち、ちょっかいは出しません」
−−民主党も官僚政治の打破を主張している。民主党政権ができ、行革担当相のオファーがあったらどうするか?
「選挙後については一切、思いをめぐらせてない。ただ、わたしがかねて申し上げているのは、100年に1度の危機が目の前にもう起こっている訳でありますから。もう今年の前半の間に世界の指導者は如何に深刻にさせないかと考えているわけであって、やはり日本の指導者としては危機管理内閣を作るべきだと言うことを申し上げて、従って危機管理内閣というのが先で、わたしがそれに入るとか入らないとかは今の時点では考えておりません」
−−離党にさいして家族の反応は
「ハハ(笑)。わたしのかみさんも、うちの子供たちも大変に私を激励してくれて、大変嬉しく思っています」
−−具体的にはどういう言葉で(激励したか)?
「家族ですので、厳しいことも言いますよ。細かいことも言います。まあ、そうですね。うーん。親の代からこの自民党にいたわけでありますから、礼を尽くして離党の手続きを進めるべきだというのは。かみさんからいわれております」
−−(家族への)報告はいつ?
「こういうことはまあ、昨日、今日の話ではありませんので。相当長い準備期間を経てやっていますので。まあ、どっかの時点で自然に分かったと思います」
−−なぜこのタイミングでの離党か
「ですから、わたしは政局とか、17人の造反とかは一切考えておりませんので。本当はですね、去年の12月の24日ですか。(衆院本会議で民主党提出の)解散決議案に賛成した時点で自民党を出ようと思ったが、ところが肩すかしで、軽い処分になりましたのでま、ちょっ時期がズレちゃったというだけのことであります」
−−最大の理由は何だったのか
「麻生内閣が古い古い体質に戻っちゃったということですね。だから、これはもう許し難い。わたしも命がけで公務委員改革や行政改革をやってきました。とにかくこの国が官僚主導で、いろんな無駄遣いがあっちこっちにあるということを考えれば、やはりこの改革は進めていかなければならない。この改革が骨抜きになって、昔の自民党に戻ってしまったわけでありますから、わたしとしてはこれは駄目だと」
「ま、肩すかしをくっちゃいましたので、じゃあ、この間どういう、もう一度、麻生総理に、一縷の望みをつないで、ご提言申し上げたが、それも黙殺ないし否定されたので今日の離党に至ったということであって、何か政局を考えてやろうということでは全くないんですね。
「自民党の器の中で考えていると、一体なぜこの時期なのか。再議決のときこそが絶好のチャンスだと解説する人もいるが、わたしは純粋に、国民の手に、政治を取り戻しましょうよということを考えていっているわけですから、政治のプロからみれば理解しがたい行動だと思います」
−−離党を最初に意識したのはいつか。どういう理由か
「やはり、麻生さんが解散先送りを何度か繰り返しましたね。最後は。きわめつけは細田が栃木県にこられて、『みなさん、もう選挙近いですから選挙の準備始めてください』と言ったのにそれも先送りされましたね。これは、相当、難しくなるなと考え始めたのはそのころだったと思います」
−−最後に決断した瞬間は?
「一縷の望みをつないで総理に提言を出さしていただきました。結局、これが否定されたのが先週の(衆院)予算委員会でしょうか。予算委員会で、天下り容認政令は撤回しないというご発言をされましたね。あれでもう、アウトだなと思いましたね」
−−(国民会議には)何人くらい、どういう立場の人を集めたいか
「これはわたし一人でやる運動じゃありませんので。仲間がいてやることなので。今日ははこの点はご勘弁いただきたいと思います。それは明日以降のお楽しみということでご勘弁ください」
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