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2009年01月12日(月) 20時27分

秘密テープも公開へ 「見直し」進むニクソン図書館産経新聞

 ニクソン元米大統領(1913−94)を辞任に追い込んだウォーターゲート事件をめぐり、カリフォルニア州ヨーバリンダの生家跡に立つニクソン図書館で、秘密テープの公開や展示内容の見直しなどの作業が活発化している。折しも、辞任後の日々を描いた映画「フロスト/ニクソン」が製作されるなど、ニクソン氏への関心は再び高まりつつあるようにもみえる。発生から40年近い年月が経過しながら、なお事件解明に熱意が傾けられる背景には、何があるのか。(ロサンゼルス 松尾理也)

 ■進む展示見直し

 図書館内の一角。ガラスケースの中に、細長い金属製の器具が陳列されていた。「ウォーターゲート事件の端緒となったビルへの侵入事件の際、犯人が使ったピッキングの道具」と、ティモシー・ナフタリ館長。ほかに、ニクソン氏直筆の大統領職の辞表や、ホワイトハウスに設置されていた秘密の録音機などもある。すべて本物だ。

 ニクソン氏の暗い側面を物語るこうした品々は、実は連邦政府の倉庫から移送されてきたばかり。礼賛一辺倒だった従来の展示の根本的な見直し作業が今、進められているのだ。

 同図書館は、支持者による団体「ニクソン基金」が私的に開設した施設だった。しかし2004年、米国立公文書記録管理局(NARA)が展示を統括することが決まり、状況が変わった。公的施設には公平な展示が必要だ。ナフタリ氏はその責任者として、ワシントンから乗り込んできた。

 「完成すれば、論争が残っているウォーターゲート事件についてもっとも包括的で公平な展示となる」と、ナフタリ氏は話した。

 ■奇妙な緊張関係

 第31代フーバー大統領以降すべての歴代大統領には、公文書局が管轄する公的な大統領図書館が設置され、業績を国民に伝える役割を果たしている。

 その唯一の例外がニクソン氏だった。74年の辞任に際して、資料の持ち出しが禁止されたため、私設図書館がオープンした後も、大統領在任中の主だった資料はすべて、ワシントン郊外の公文書局施設に保管されたままだった。

 その後、ニクソン氏死去など時代の変化を受け、ニクソン氏の業績についてもひとつの施設で総合的に管理・展示できるような道が模索され続けてきた。

 2004年に基金側と連邦政府が合意に達したことで、移管作業がはじまった。しかし、全面的にニクソン氏を称賛し続けてきた基金側と、ウォーターゲート事件を中心に、ヤミの部分も遠慮なく展示しようとする公文書局との間には、同じ屋根の下に同居するようになった現在も、奇妙な緊張関係が存在する。

 基金側は「ナフタリ氏は展示見直しに最適な人物」とコメントするが、そのナフタリ氏自身は「新しい展示の内容や視点についてひともんちゃく起きる可能性は低くない」とみている。

 ■米民主主義の強靱さ

 同図書館の重要な使命となるのが、ニクソン氏の命取りになった「ホワイトハウス秘密テープ」の公開だ。

 あまりに膨大な量であるのに加え、これまで管理をめぐる対立があったことなどから、実は相当分の未公開テープが残されている。「その中には、ニクソン氏の権力の乱用を示す新しい発見も含まれる」(ナフタリ氏)。これらを順次公開し、さらにインターネット上から世界中の誰でもがアクセスできるようにする作業が、2010年までに完了する予定だ。

 さまざまな障害を乗り越え、息の長い情報公開作業が今も続くウォーターゲート事件。ナフタリ氏は「多くの国は、自らの政権にとって不名誉な情報を保存・公開するためにここまでの努力をしないだろう。だが私は、それこそ米国の民主主義の強靱さを示すものだと思っている」と述べた。

     ◇

 ■ウォーターゲート事件 1972年6月、ワシントンのウォーターゲート・ビルにある民主党本部に盗聴装置を仕掛けようと5人組が侵入、逮捕されたのが発端。米紙ワシントン・ポストが当時のニクソン大統領の再選支持派が関与していた事実をスクープした。調査の過程でホワイトハウスに秘密の録音システムが設置されていることが発覚するとともに、大統領自身の関与も明らかになり、下院司法委員会が弾劾決議案を可決。大統領は74年8月、辞任に追い込まれた。

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