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2009年01月12日(月) 13時01分

阪神大震災14年:信頼・とらすとK/2 琴平高生と神戸の被災者文通 /香川毎日新聞

 ◇心の触れ合いが一番
 05年2月末、当時県立琴平高3年だった松下晴奈(22)らが中心となり、阪神大震災の被災者を励ますために送ったあて名のない手紙約10通。高齢者を訪問するボランティア団体「よろず相談室」(牧秀一主宰、神戸市東灘区)を通じて同市灘区の復興住宅で暮らす浜田和夫(68)の元にも届いた。「よかったら文通して下さい」とスタッフ。浜田は「続くんかいな」と思った。仮設住宅の時に名古屋の中学生と文通したが、なかなか続かなかった経験があったからだ。
 チョウが描かれたピンクの封筒。松下からの手紙だった。『初めまして、こんにちは。香川県に住む高校3年生です』。「せっかくもらった手紙」と浜田は返事を書いた。
 これが、同校に届いた最初の手紙。活動の意義が少し見え始めた瞬間だった。
  ◇
 震災当時、浜田の住まいは同市東灘区の木造賃貸住宅2階。早起きが習慣で、揺れた時は洗顔中。さっきまで寝ていた布団には、食器棚や茶だんすなどが倒れていた。1階に住んでいた女子大生は亡くなった。半年ほど松山市の長男宅に身を寄せたが、仮設住宅に戻り、98年4月からは復興住宅で一人暮らし。
  ◇
 浜田が返事を送って間もなく、松下ら琴平高の生徒が、牧の案内で自宅にやって来た。「しっかりしてそうな子やな」。交流が加速した。松下はバイトの失敗談や、趣味の音楽のこと、浜田は体調のことや、朝起きて寝るまでの日々の暮らしのことなど、2人は日常の出来事を手紙につづった。いつしか浜田は「そろそろ返事が来るころか」とポストを見るのが楽しみになっていた。
 これまでに届いた手紙は30通以上。もうすぐ文通を始めて4年になる。浜田は「信頼しているから続くんやと思う」。松下について「遅れてできた娘みたいなもん」と照れながら話す。
 浜田は言う。「震災のことはもちろんやけど、被災者がその後どんな生活をしているか知ることが大事やと思う。震災の時は物資救援のボランティアがたくさんいた。モノをあげればいいみたいな雰囲気も一部ではあった。だけど最後に望むのは交流ができるボランティア。相談できたり、心の触れ合いが一番うれしい」
 ふと、浜田は心にポッカリと穴が空いたような気持ちになることがある。そんな時は決まって箱にしまってある手紙を引っ張り出す。体調を気遣ってくれる松下の優しい手紙を読み返しては、「遠いところから自分を励ましてくれる人がいる」ことを思い出し、心の支えにしている。「僕の手紙がどれだけ相手の支えになっているか分からないけど、お互いが励まし合っていければ一番いい」(敬称略)【三上健太郎】

1月12日朝刊

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090112-00000177-mailo-l37