2009年01月10日(土) 18時55分
【幻のドラえもん】テレ朝版アニメの前に「日テレ版」があった(産経新聞)
テレビ朝日系で4月に放送30年を迎えるアニメ「ドラえもん」の放送が始まる6年前の昭和48年、同じドラえもんが日本テレビ系で半年だけアニメ化されていた。ファンから「日テレ版ドラえもん」「旧ドラ」と呼ばれ、再放送されないため「幻のドラえもん」ともいわれる。いったいどんなドラえもんだったのか。当時、制作会社のスタッフだった東京都東久留米市の真佐美ジュンさん(63)を訪ねた。
ドラえもんは、平成8年に62歳で亡くなった藤子・F・不二雄さん(本名・藤本弘)の原作。昭和44年、小学館の学習雑誌「小学1年生」などの45年新年号で連載が始まった。現在のアニメは54年からテレビ朝日系で始まり、30年で約2100話が放送されている。日テレ版ドラえもんはその6年前の48年に半年間で26回、計52話が放送された。
日本テレビの公式ホームページの社史には、1973(昭和48)年の項目に「『ドラえもん』がスタート」と書かれている。しかし、現在のテレ朝版ドラえもんの開始直後から、ほぼ30年にわたって再放送されておらず、忘れられた作品となっている。
日テレ版ドラえもんについて、会員制ホームページ「真佐美ジュン」で紹介している真佐美さんは本名、下崎闊(しもざき・ひろし)。当時、アニメ制作会社「日本テレビ動画」でドラえもんの制作主任を務めた。「真佐美ジュン」はアニメ演出時の名義という。
「これがセル画です。本物は保管してあって、これは持ち歩いてお見せするレプリカです」
自宅近くの東久留米市役所ロビーで、真佐美さんはアタッシュケースからドラえもんのセル画の複製を十数枚、取り出した。黒皮の野球帽に黒い皮ジャン、白ひげを生やした長身の男性。取材はいつも公共施設で受けるという。真佐美さんが説明する日テレ版ドラえもんは、知られざるエピソードに満ちていた。
▽ドラえもんの声優は女性ではなく男性、「平成天才バカボン」のバカボンのパパなど、おじさん役で知られる富田耕生さんだった。
▽ドラえもんの声優は後半、「ドラゴンボール」の孫悟空や「銀河鉄道999」の星野鉄郎で知られる野沢雅子さんへと男女逆転した。
▽ジャイアンの声優は、テレ朝版でスネ夫役を務めた肝付兼太さんだった。
▽原作ではほとんど登場しない幻のキャラクター、アヒルの「ガチャ子」が活躍していた。しずかちゃん宅へ居候しており、同じ家にはボタ子という、やはり原作ではほとんど出てこないお手伝いさんもいた。
▽ジャイアンの「母ちゃん」は亡くなっていた。
▽のび太たちが通うのは「下町小学校」だった。
▽ドラえもんはひみつ道具を出す際、「あ〜らよっ」と江戸弁でかけ声をかけた。
現在、完成品のフィルムは行方不明とされるが、真佐美さんは完成品の一歩手前のフィルムを全52話のうち6話分、保管していた。鑑賞用にDVDへコピーしてあり、インタビューしていた東久留米市役所2階のテーブルで、ノートパソコンを使った即席の上映会が始まった。
第9話「おせじ鏡の巻」と第35話「潜水艦で海へ行うの巻」を見せてもらった。やや色あせた色彩は1970年代のアニメそのものだが、ストーリーや作画はしっかりした印象だった。ドラえもんの声はテレ朝版の大山のぶ代さんのイメージがいまだに耳に残るものの、70年代のアニメと承知して見れば、それほど違和感はない。
「私に『ドラえもんをやってくれないか』と話がきたのは、偶然、私が手塚治虫先生の仲人で結婚したころでした」
真佐美さんは、自身とドラえもんとの数奇な関わりについて語り始めた。
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