記事登録
2009年01月09日(金) 00時01分

退任目前、ブッシュ大統領大いに語る産経新聞

 【ワシントン=山本秀也】任期満了を20日に控えたブッシュ米大統領は、米メディアとの相次ぐインタビューや講演を通じ、政権の自己評価を積極的に伝えている。長期政権末期の大統領が、こうした手法をとるのは異例だといえる。政権末期に遭遇した歴史的な金融危機と景気後退、支持率の急落を招いたイラク政策などに関する雄弁な語りには、後世の批判をもかわす布石という側面もありそうだ。大統領の自己採点をまとめた。

 ■イラク政策

 イラク開戦の理由となった、イラクが大量破壊兵器を保有しているとの情報が誤りだった問題について、ブッシュ氏は「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」(先月1日、ABCテレビとのインタビュー)と認めた。

 しかし、当時のイラクのフセイン大統領に言及し、「彼は世界に挑戦したのであり、テロ支援や、大量破壊兵器による対米攻撃の画策という懸念を私に抱かせた」(先月11日、米軍向け放送「ペンタゴン・チャンネル」とのインタビュー)とも指摘。フセイン氏が大量破壊兵器の保有疑惑を自ら晴らす努力を怠ったと非難し、開戦の“正統性”を主張した。

 フセイン政権を武力で崩壊させたことについても「フセインが(引き続き)権力を握っていたら、中東情勢は完全に違っていた。石油の富を(レバノンの民兵組織)ヒズボラに匹敵するようなテロ組織に使っていたはずだ」(先月5日、MBCテレビとのインタビュー)と述べるなど、政権を排除したことは正しい選択だったと強調した。

 ■金融危機

 公的資金による金融機関への資本注入や、自動車大手3社(ビッグスリー)への支援検討に踏み込み、「自由市場を信奉する人物には難しいときとなった。普通なら経営破(は)綻(たん)した企業は退場させるべきだが、今回は普通の情勢ではなかった」(先月18日、米有力シンクタンクAEIでの公開インタビュー)と、苦渋の決断だったことを強調した。

 連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長から「手を打たなければ世界恐慌を超える事態に直面する」と警告されたことも告白した。そして、「『世界恐慌を超える不況の扉を開いた大統領』にはなりたくなかった」と、名を惜しんだことを認めた。

 ■自己評価

 フロリダ州での票の再集計と司法闘争という大混乱の末に、民主党のゴア候補を制した2000年の大統領選については、「選挙結果が疑わしいという印象を国民に与えてしまった。選挙後、国内の結束を図るのに苦心する結果になった」(先月18日、米議会放送Cスパンとのインタビュー)と振り返った。

 ブッシュ政権は、民主党の政権奪還を許し、3割を切る低い支持率で任期を終えようとしている。これについては「政治のサイクルに過ぎない。(次期大統領選に向け共和党は)原則がしっかりした候補者を掘り起こすことが大事だ」(AEIでのインタビュー)と言葉少なだ。

 ただ、マスコミの報道には不満を隠さない。「マスコミは私の発言を嫌っているのだと悟ったが、あえて不満は述べなかった。とはいえ、『ブッシュはうそつきだ』というような、荒っぽいレトリックには少々失望した」と語った。

 ■引退後の抱負

 ブッシュ氏は62歳で大統領の座を降りる。「毎朝、6時45分から執務室で膨大な仕事をこなす日々は、6時45分に起きて、コーヒーを飲みながら今日は何をしようかと考える毎日に変わる」(ABC)と哀感が漂う。引退生活に「慣れる自信がある」(同)とも。

 引退後は、テキサス州ダラスの新居を根城に、地元のサザンメソジスト大学での政策研究所設立や、回想録の執筆などに意欲をみせる。米国の将来については「孤立主義に陥ることが心配だ」(AEIでのインタビュー)とし、自由貿易体制の発展、エイズ、マラリアなど感染症対策での国際貢献などの「自由の伝道師として私は活躍していきたい」と語った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090109-00000500-san-int