2009年01月07日(水) 13時02分
阪神大震災14年:10年以上経て、芦屋の「この町がすき」をリバイバル /兵庫(毎日新聞)
◇1・17に込める思い、歌い継ぎ広めたい
阪神大震災で被災した子どもたちを励ます目的で震災直後、芦屋市PTA協議会が発案して作られた歌が、制作から10年以上を経てリバイバルのきざしを見せている。小学生らから集まった作文を基に、「紙ふうせん」の後藤悦治郎さんが作詞、作曲をした「この町がすき」。市が昨年4月から始業時の音楽として使い始め、市内イベントでも積極的に流している。山中健市長は「震災を風化させないためにも、『芦屋の歌』として市民に広げたい」と話す。【山田奈緒】
歌詞は<春はさかなたちが とびはねる さくらふぶき ながす あしや川>などと芦屋の四季を織り込み、メロディーはシンプル。サビの部分は<この町がすき あなたがいるから ひまわりのような えがおに あえるから>と歌い上げている。
96年度の芦屋市PTA協議会のメンバーたちが「震災の傷が残る街や子供たちを元気づけるものを作ろう」と決めたのが始まり。実行委を組織して歌づくりを開始した。歌詞の基になった作文は97年10月、市内の小学校などに呼びかけ、児童らに「わたしの街 芦屋」というテーマで書いてもらった。歌詞は特定の子の作品ではなく、多くの作文に目を通した後藤さんが歌詞にまとめた。
完成した歌は98年2月、市立宮川小で披露された。実行委の1人、沖倫子さん(53)は「当時は復興で精いっぱいだった。完成したものの、それを歌い継ぐという発想が生まれる余裕はなかった」と話す。ところが、昨年1月、市内のイベントで、この歌を歌い続けてきた地元コーラスグループの歌声を聞いた山中市長が感銘を受け「市民に広めたい」と思い立ったのが転機になった。
当時、呼び掛けに応じて作文を書いた1人で滋賀県栗東市の会社員、柏原将司さん(23)は「同級生が亡くなって、生まれ育った街が一瞬でぐちゃぐちゃになったことが悲しかった」と振り返る。作文には<がんばれ芦屋>と繰り返しつづった。「震災への人々の関心はどんどんなくなっていくけど、忘れちゃいけないと思う。歌が見直されるのはうれしい」と話していた。
〔神戸版〕
1月7日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090107-00000180-mailo-l28