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2009年01月05日(月) 00時00分

派遣村 最後の夜読売新聞


炊き出しに列を作る人たち(4日午後5時55分、東京・日比谷公園で)=高橋はるか撮影
受け入れ施設 500人分を確保

 東京・日比谷公園には4日も、「年越し派遣村」を頼って、職を失った人が次々とやって来た。「簡単に契約を切らないで」。身を寄せ合って年末年始をしのいだ人たちは、5日の仕事始めを前に、企業や国に対する切実な訴えを口にした。

 派遣村を訪れた人たちの中には、派遣会社と契約していた元派遣社員だけでなく、派遣会社の正社員だった人の姿も。先月10日に都内の派遣会社をリストラされた元正社員の男性(34)は、次の仕事も住居も決まっておらず、「国は仕事を増やす努力を」と熱望。先月23日に愛知県内の派遣会社を解雇された元正社員の男性(30)は「弱者の気持ちが分からない行政に望むことはない。自分で行動して解決するしかない」と話した。

 秋葉原無差別殺傷事件で殺人罪などで起訴された加藤智大被告と、静岡県内の自動車工場で同僚だったという男性(34)も、先月25日付で契約を打ち切られ、派遣村を頼ってきた。5年前に結婚を約束した女性がいるが、「今の状況では、一緒に暮らすことすらできない」と肩を落としていた。

 派遣村の実行委員会によると、12月31日〜4日午後6時までに、同村で弁護士などが対応した生活・労働相談の件数は計321件。年齢も20〜70歳代と幅広く、「生活保護申請をしたいがどうしたらいいか」という相談が多かったという。昨年10月末に梱包(こんぽう)作業の仕事を打ち切られた50歳代の元派遣労働者が、70歳代の母親を連れて野宿を繰り返していたケースもあった。相談後、母親は衰弱が激しいとして入院したという。

 「年越し派遣村」実行委員会が4日午前にまとめた集計によると、同村に登録した元派遣社員らは3日夜までに410人。このうち厚生労働省の講堂に約260人、同公園内のテントに約140人が宿泊した。4日も新たな登録者が相次ぎ、最終的に500人近くになる見通しという。

 実行委などによると、5〜12日の間、都や中央区が用意した都内4か所の施設で500人分の受け入れ先が確保されたという。

元派遣社員の声(いずれも男性。日付は昨年。カッコ内は直前の勤務地、年齢)

 12月27日まで自動車製造工場に勤務。寮も退去させられた。自力で仕事を見つけるのは難しく、中ぶらりんの状態だ。企業は最低限の契約を守ってほしい。(愛知、42歳)

 11月まで自動車工場でエンジン機械加工を担当。求人誌などをみて面接に行ったが、1件は年齢で断られ、もう1件は連絡すらない。もう涙は出尽くした。(栃木、47歳)

 11月末までプリンター製造工場に勤務。料金滞納で携帯電話も止められた。自分の年を考えると、無職となったことは会社や社会のせいばかりとは言えない。(埼玉、39歳)

 12月20日までテレビ製造工場に勤務。ネットカフェや公園で寝泊まりしていた。福祉関係の仕事に就きたい。行政には、資格取得の支援をしてほしい。(三重、29歳)

 12月27日まで工場でフォークリフトを運転。寮付きの仕事は契約が切られると、住まいも失うので嫌だ。労働者を簡単に切ることが出来ない法律を作ってほしい。(滋賀、54歳)

 12月末まで自動車製造工場に勤務。都内のネットカフェで過ごしているうちに、所持金が底をついた。派遣会社から次の仕事も来ない。生活保護を受けたい。(神奈川、36歳)

http://www.yomiuri.co.jp/national/yuragu/yuragu090105_01.htm