国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が今年5月21日、いよいよスタートする。すでに約29万5000人の裁判員候補者に通知が送られ、早ければ6月にも実際の事件で、裁判所への呼び出しが始まる。制度はどのように動き出し、どんな課題を抱えているのか——。
公判前 3段階で選任裁判員を選任する手続きは、三つのステップに分かれる。まず、1年間の裁判員候補者を前年のうちに選挙人名簿から無作為抽出で選び、名簿に登録。今年分の名簿に登録されたことを知らせる通知は昨年11月28日、候補者に送られた。有権者が名簿に登録される確率は352人に1人。
通知には調査票が同封されている。70歳以上の人や学生は辞退が可能なので、回答票を返送すると、裁判所から呼び出されることはない。冠婚葬祭や仕事の都合などであらかじめ参加が難しい月が決まっている人は、2か月まで回答票に記入でき、その期間は呼び出しが免除されることがある。
次のステップは、事件ごとの候補者の呼び出しだ。裁判員裁判を行うのは、全国50か所の地裁本庁と、規模の大きい地裁支部10か所。各地裁は、事件の審理日程が決まった時点で、そのつど名簿登録者の中から抽選で50〜100人程度を選び、初公判の6週間前までに呼び出し状を送る。
呼び出し状には裁判の具体的な日程が記載されている。候補者は同封される質問票に、例えば、「資格取得のため受けようと思っていた試験と日程が重なる」「裁判期間中に妻が出産予定日を迎える」など、参加が難しい事情を書くことができる。資格試験の受験票など、辞退理由の証明書類(コピー)を同封して返送すれば、辞退が認められる可能性があり、その場合は呼び出しを取り消す通知が届く。
最終ステップは、裁判所で行われる選任手続きになる。指定された日に出頭した裁判員候補者たちはまず、当日の手続きや自分が担当するかもしれない事件の概要について説明を受けた後、裁判官らと面談する。辞退希望の有無を改めて尋ねられるほか、「被告や被害者と個人的なつながりはないか」といった質問もある。不公平な裁判をする恐れがある人は、裁判員になれないためだ。
面談には検察官と弁護士も同席。その場のやりとりなどから、「裁判員にふさわしくない」と判断した場合には、具体的な理由を示さずにそれぞれ4人まで、不選任の請求(忌避)をすることが認められている。こうして残った候補者の中から、抽選で裁判員6人に絞り込む。
【課題】辞退どこまで認めるか候補者の辞退希望をどこまで認めるか、裁判官が悩むケースは多いとみられる。例えば、「重要な仕事を抱え、休めば著しい損害が生じる人」は辞退可能だが、会社の規模や仕事の性質を知らなければ、損害が出るかどうかの判断は難しい。あまり柔軟に辞退を認めすぎると、裁判員が仕事や家事で忙しくない人ばかりになり、国民の幅広い層の意見を反映させるという制度の趣旨に反してしまう。主要企業の間では、正社員が裁判員に選ばれた場合の有給休暇制度を整備する動きが進んでいる。一方、中小企業の休暇制度整備は遅れており、折しも深刻化する不況の中、企業側の協力がどこまで得られるかもポイントになる。
公判 割れれば多数決今年、実際に裁判員裁判が始まるのは、どんなに早くても7月下旬以降とみられる。5月21日の施行日以降に起訴された事件の裁判に裁判員が参加するが、まず審理予定を決める「公判前整理手続き」に最低でも1か月近くかかる。それから候補者に呼び出し状を送り、6週間後の裁判に来てもらうという流れになる。
裁判員制度の対象は、「死刑または無期懲役にあたる事件」または「故意で人を死亡させた事件」。殺人や強盗致傷などのほか、交通事故でも危険運転致死が含まれる。最高裁の統計では、2007年の裁判員制度対象事件は2643件。地裁で審理された全刑事裁判の2・7%にあたる。
裁判初日の午前中、選任手続きで裁判員6人が決まると、午後から、法廷での審理に臨む。アーチ形の法壇では、中央に3人の裁判官、その両側に裁判員が3人ずつ並んで座る。2日目以降は、午前10時から午後5時頃まで審理が続くことになるが、昼食や休憩の時間も確保されるので、実際の審理時間は1日5時間程度を見込む。被告人質問や証人尋問で、裁判員は裁判長の許可を得て質問できる。
昨年12月からは「被害者参加制度」がスタート。裁判員制度と対象事件の多くが重なるため、犯罪被害者や遺族が検察官の横に座り、被告や証人に直接質問したり、検察官が論告・求刑を行った後、独自の求刑意見を述べたりすることもある。
公判が結審すると、裁判員と裁判官で有罪・無罪と量刑を決める「評議」へと移る。評議は法廷とは別の部屋で行われ、非公開だ。可能な限り裁判員6人、裁判官3人の9人全員一致の結論を目指すが、意見が分かれた場合、多数決による「評決」を行う。ただ、有罪にできるのは、少なくとも裁判官1人を含む過半数に達した時で、それ以外は無罪になる。判決理由は裁判官が書く。法廷で裁判長が判決を言い渡す時は、裁判員も同席する。
【課題】審理が粗くならないか裁判の迅速化は裁判員の負担を減らすメリットがある一方、審理が粗雑になる危険性もはらむ。先月9日、広島高裁は女児殺害事件のペルー人被告に対する裁判で、公判前整理手続きを経て連日開廷を行った1審について「審理を尽くしていない」と批判。無期懲役とした1審判決を破棄して差し戻した。このほか、捜査段階で自白した被告が公判で否認に転じた場合、強引な取り調べが行われたかどうかの判断は裁判官でも難しい。検察と警察は取り調べの録音・録画を部分的に始めているが、日本弁護士連合会は「都合のいい部分だけを証拠にしようとしている」と反発し、全過程の録音・録画を求めている。
公判後 生涯守秘義務判決の言い渡しが終わると、裁判員はその役割を終え、日当(1日当たり1万円以内)を受け取る手続きをして、家路につく。判決に対しては、検察、被告側双方が控訴できるため、高裁、最高裁で判決内容が見直される可能性はある。
判決後も生涯にわたって課されるのが守秘義務だ。裁判官や裁判員が述べた意見の中身や、「6対3で有罪が決まった」といった多数決の内訳は、「評議の秘密」に当たり、他人に漏らしてはいけない。裁判員を務めたことによって知った他の裁判員の名前や住所、裁判記録に書かれていた事件関係者のプライバシーも、同様に話してはならない。
秘密を守れなかった場合について、裁判員法は「秘密漏示罪」を定めており、現役の裁判員や補充裁判員が評議の秘密などを漏らせば6月以下の懲役か50万円以下の罰金を科せられる。裁判員経験者に対しても、ほぼ同様の罰則がある。
こうした厳しい守秘義務があるのは、裁判員が「有罪を主張したことが後で被告やその関係者に伝われば、報復されるかもしれない」などと心配し、自由に発言できなくなる事態を回避するためだ。
一方、傍聴人も見聞きできる法廷でのやり取りは守秘義務の対象にならない。裁判員として参加した感想を話すことも問題はない。現役の裁判員は事件関係者からの不当な働きかけを防ぐため、裁判員であることを公にしてはならないが、判決を終えた後なら本人の意思で名前も公表できる。
判決後、被告の逆恨みなどを懸念する声もある。しかし、これまで裁判官が有罪判決を理由にトラブルに遭った前例はほとんどない。裁判員法は、裁判員やその経験者をトラブルから守るために「威迫罪」を定め、面会や電話で脅す行為を禁じている。違反者は2年以下の懲役か20万円以下の罰金を科せられる。
【課題】検証が難しくなる恐れ裁判員だった人が裁判長の評議の進め方に疑問を感じ、その思いを感想として話した場合など、守秘義務に触れるかどうか微妙なケースは少なくない。裁判員経験者が守秘義務を過度に意識すると、市民感覚を生かした評議が行われたかどうか、検証が難しくなる恐れがある。裁判官が守秘義務について裁判員に正確な説明をすることが必要だ。また、控訴審や上告審の結果について、裁判所から連絡が来ることはなく、刑の執行状況や出所後の再犯の有無もプライバシー保護の観点から知らされない。しかし、こうした情報を知りたい裁判員経験者が増えれば、裁判所などが何らかの対応を迫られることも考えられる。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081128-033595/fe_090104_01.htm