サッカーJリーグ1部(J1)名古屋グランパスの初代監督を務めるなど、日本サッカー界の発展に貢献した平木隆三(ひらき・りゅうぞう)氏が二日午前一時三分、重症肺炎のため愛知県豊田市のトヨタ記念病院で死去した。七十七歳。大阪府出身。自宅は同県豊明市栄町三ノ一一五。葬儀・告別式は五日午前十一時半から、豊明市栄町南館三ノ二、高徳院愛昇殿で。喪主は妻ハナ子さん。
現役時代は主にDFで活躍。関学大—湯浅電池—古河電工に所属し、天皇杯全日本選手権優勝などの実績を残した。日本代表では一九五六年メルボルン、六四年東京の両五輪を経験、東京五輪では主将を務めて八強入りに貢献した。
指導者としても日本代表のコーチや古河電工の監督などを歴任し、Jリーグ創設時に名古屋グランパスの初代監督に就任、九三年シーズンまで指揮を執った。二〇〇五年に日本サッカー協会が顕著な功績をたたえる「日本サッカー殿堂」入りした。