2008年12月28日(日) 12時52分
北京五輪で課題浮上 ロンドン五輪はかく戦う(産経新聞)
アジアで3度目の夏季五輪、北京大会。史上最多の選手・役員576人を派遣した日本選手団はメダル数で金9、銀6、銅11の計26個に終わり、目標とした「金2ケタ、総数で30個以上」を達成できなかった。ただ金3個の1996年アトランタ大会、同5個の2000年シドニー大会と比べて遜色(そんしょく)はない。問題は成績を支えたのが「アテネ組」ということ。その大黒柱たちが抜ける今後が正念場だ。日本オリンピック委員会(JOC)が掲げる16年に東京五輪を開催できた場合に「メダル順位で世界3位」を実現する上で、浮き彫りになった課題を中心に大会を振り返る。(金子昌世)
「金メダル9個のうち7個が(前回に続く)2回目のメダル。世代交代をしっかりしないとロンドンは厳しい」。五輪最終日に行われた日本選手団会見で、上村春樹総監督はこう訴えた。もともとJOCが見込んだ金メダル候補はいずれも「アテネ組」。新戦力は乏しかっただけに、北京後はその反動をまともに受ける。
実際、五輪3大会連続で複数のメダルを獲得した競泳陣には世代交代の波が押し寄せている。2大会連続銅の中村礼子、アテネ金の柴田亜衣らが相次いで引退を表明。連覇で平泳ぎ2冠を果たした北島康介(日本コカ・コーラ)も4年後はいないだろう。上野広治監督は北京五輪代表31人のうち「3分の1ほどのベテラン勢が一気に一線を退いたのでは」と語ったほどだ。団体総合銀の体操男子も中軸の冨田洋之、鹿島丈博が引退。個人総合で銀メダルを獲得し、エースに成長した内村航平(日体大)はいるが、若手育成が課題だ。
柔道も北京後の世代は見えていない。獲得した金メダルは男女計4個。男子は12年ぶりに金2個に終わったばかりか、ロンドンで連覇を狙える100キロ超級の石井慧(国士舘大)がプロに転向。10月の世界ジュニア選手権で男子は1人の優勝者も出せず、若手は人材払底の状況だ。
そんな中、五輪では日本ならではの弊害も見られた。柔道では左ひざの靭帯(じんたい)を痛めた平岡拓晃(了徳寺学園職)や、減量に失敗した泉浩(旭化成)ら、代表合宿以外でのアクシデントが相次いだ。代表監督、コーチ陣と選手が所属する実業団チームなどとの連携が不十分で、代表選手の管理システムの不備があらわになった。この点は陸上でも故障欠場となった女子マラソンの野口みずき(シスメックス)、男子マラソンの大崎悟史(NTT西日本)の状況が日本陸連内で共有されず、対応が後手に回った。競技団体の多くは実業団など個別のチームでの人材発掘、育成、強化がいまも主流。国家主導で強化を図るスポーツ大国にはかなうべくもない。
「北京の特徴は、各競技のレベルがものすごく上がったこと」と日本選手団の福田富昭団長。競泳の上野監督も「メダルを取るラインが、今回の決勝ラインになっている」。世界のレベルが上がる中、次世代が育たない日本の強化体制は見直す時期に来ている。
「金メダル数で1位になった中国は16カ国から21人のコーチを招聘(しょうへい)していた。指導者の重要性を改めて認識させられた」。日本選手団の市原則之副団長はこう北京大会を振り返った。
市原副団長によると、日本選手団(各チーム)が招聘した海外からのコーチ数は、アトランタ五輪が6人、シドニー五輪が7人、前回アテネ五輪で5人、そして今回が14人。もちろんコーチ招聘で強くなるほど単純ではないが、北京五輪では競技団体の取り組みによって「明暗」が出たのも事実だった。
アテネに11人の代表を送り、わずか1勝だったバドミントンは、北京では女子ダブルスの末綱と前田ペアが世界ランク1位の中国ペアを倒して史上初の4強入り。オグシオ(小椋、潮田組)も、男子の舛田、大束組もベスト8に進出した。メダルには届かなかったが、日本協会が五輪金メダリストの韓国人、朴柱奉監督を招聘し、改革に手をつけたことが奏功した。これまで企業単位の強化だけで、代表選手同士によるレベルの高い練習を積める場が少なかったが、朴監督が反発覚悟で、主要大会直前に何度も強化合宿を実施した成果でもあった。
フェンシングで史上初の銀メダルを獲得した男子フルーレ個人の太田雄貴(京都ク)の場合も日本協会の取り組みの成果といえる。昨年4月から五輪まで「500日合宿」を敢行。JISS周辺に協会が部屋を借り、五輪代表らが試合などで東京を離れる時以外は、練習を続けさせた。
一方、前回アテネ五輪で金メダルを獲得した5競技団体(陸上、水泳、柔道、体操、レスリング)のうち、唯一、惨敗したのが陸上だった。目標は「メダル2、入賞5」。男子ハンマー投げの室伏広治(ミズノ)が2、3位のベラルーシ2選手のドーピング違反により、繰り上がりで銅メダルを獲得し、メダル数こそ目標に届いたが、入賞は1。大会3連覇に挑んだ女子マラソンを含めて男女マラソンは入賞さえできなかった。
所属を越え、メンバーを固定して練度を向上させた男子四百メートルリレーで五輪トラック種目で80年ぶりの銅メダルという快挙こそあったが、主力が軒並み予選で消えた上に、自己ベストすらゼロ。高野進監督は「力負け」と敗北を認めた。選手の故障情報すら十分に把握できなかったのでは、日本陸連が掲げた「チームジャパン」が機能したとはいえない。こうした結果を踏まえ、日本陸連では強化委員会から長距離、マラソン、競歩種目を分離し、12月に長距離・ロード特別委員会を発足させた。より効率的に強化を行うのが狙いだ。
サッカーでは男女で明暗が分かれた。アテネの8強以上を目標に臨み、初の4強入りを果たした女子は、暑さやピッチの悪さを言い訳にせず、必死にボールを追った。一方、3戦全敗に終わった男子は言い訳が多かった。W杯代表入りを目指す男子と、五輪が最高の舞台の女子との意識の差が反映していたことは否めない。次回ロンドン五輪では除外されるソフトボールが有終の美を飾り、野球がメダルすら取れなかったことにも通じるだろう。
「英国はこの4年間で470億円。JOCがもらっている強化費は年間27億円。国策として強化しないと競技力の向上は難しい」。大会の全日程終了後、日本選手団の福田富昭団長は、改めてこう訴えた。
確かに今大会では開催国の中国の躍進は目覚ましかった。前回アテネで32個と初めてメダル獲得順位で世界2位に入った中国が地元開催でさらに躍進し、金メダル51個で初の1位に輝いた。そして次回開催国の英国も9個から19個に倍増し、4位に浮上した。一方、日本はアテネから金メダルは7個減り、5位から8位に後退した。
中国や英国の躍進を支えたのは福田団長が指摘した通り、招致成功を受けて支出された選手強化費というカンフル剤だ。選手がフルタイムで練習に打ち込めるようになった上に、海外から一流の指導者を招くことも可能になった。英国では競泳に豪州から、飛び込みには中国からコーチが加わった。また英国は4年後に主力となる次世代の選手を北京五輪とマカオでの事前合宿に派遣し、五輪の雰囲気を味わわせたともいう。
北京では計133の五輪記録が誕生し、うち43が世界記録だった。モンゴル、パナマ、バーレーンが史上初の金メダルを獲得するなど、メダル獲得国・地域数は史上最多の87にのぼった。各国ともしのぎを削っている。
もちろんJOCも手をこまねいているわけではない。すでにロンドン五輪対策プロジェクトを立ち上げ、今後は各競技団体から「強化に何が必要か」をヒアリングし、各競技団体の実情に合った対策を講じる方針だ。4年後のロンドン、そして招致を目指す16年東京五輪に向けた取り組みは待ったなしの状況だ。
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