働く意欲も、時間も、体力もあるのに、その機会を奪われる。「はたらく」ことの意義を考える連載を始めるにあたり、序章として、働けなくなってしまった人たちの苦悩を伝える。
◆営業スマイル◆
空は高く、底冷えのする朝だった。今月19日、金曜。日産ディーゼル工業上尾工場(埼玉県上尾市)の派遣社員だった佐藤猛さん(40)(仮名)が、寮の玄関ドアのカードキーを引き抜いた。カチッと乾いた音がしたが、いつものくせでノブを回して施錠を確かめてしまう。ドアの前で待っていた派遣会社の男性社員に、無言でカードキーを手渡した。これで〈職〉も〈住〉も失った。顔を上げると、営業スマイルが待っていた。「お疲れさま!」
◆「寝袋買わなくていいのか」◆
工場ではトラック部品を仕分ける作業を担当した。「手を抜けば仕事を失う」と必死だったが、同僚より忙しい仕事を任された責任感が心地よかった。北海道・夕張市出身の派遣仲間と意気投合し、人間関係の悩みを相談し合った。
11月17日の終業後、派遣会社から工場の食堂に呼び出された。約50人の同僚がいた。テーブルに、それぞれ12月18日付解雇予告通知書が置かれている。食堂はざわめいていた。「ここで怒って派遣会社から仕事をもらえなくなれば、死ぬしかない」。ぐっとこらえた。
12月20日までに寮を出るよう求められた。寮費などを引かれ、収入は手取りで月約10万円。持病のぜんそくの治療費もかかり、貯金はなかった。路上生活を余儀なくされる同僚もいると聞く。「お前は寝袋を買わなくていいのか」が、仲間内のあいさつとなった。
◆派遣切り2万人「氷山の一角」◆
9月の米証券大手リーマン・ブラザーズ破綻(はたん)に端を発した金融不安は、日本の輸出関連産業を直撃した。自動車大手も軒並み減産を発表。余った労働力は「正社員より切りやすい」(連合幹部)非正規労働者の削減という形で表れた。
厚生労働省の調査(11月25日現在)では、今年10月〜来年3月に職を失ったか、失う予定の非正規労働者は3万人超。うち派遣労働者は約2万人。「この数字も氷山の一角」(同省幹部)だ。
「2009年問題」も人員削減の流れを加速させる。製造業への派遣は04年に解禁となり、07年3月に勤務期間が最長3年にまで延長された。延長を見込み、06年から派遣受け入れ企業が急増したため、09年に契約期限を迎える派遣が続出するのだ。「企業は今、不況に乗じて09年問題も片付けようとしている」。労組幹部は危機感を募らせる。
◆「クビになったんや」に母無言◆
猛さんに新しい仕事は見つからなかった。大阪で生活保護を受けて暮らす70歳代の母に電話した。「今の会社、クビになったんや。家に帰るわ」。母は無言だった。自分が情けなく、すぐに受話器を置いた。
8畳一間の寮は布団もテレビも冷蔵庫も備え付け。着替えだけを押し込んだスポーツバッグ一つを肩に、寮を後にした。2日前に風邪を引き、途中の薬局で買った薬をJR上尾駅のホームでのんだが、熱と不安で頭はもうろうとしていた。
知人に別れを告げるため、東京・立川市に寄った。街は忘年会でにぎわうサラリーマンであふれていた。
「まじめに働きたいと思っている人間が、なぜ使い捨てられるのかな……」
そう言い残して、猛さんは大阪へ帰る夜行バスに乗り込んだ。
(連載「はたらく」序章 上)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081209-206556/news/20081225-OYT1T00030.htm