2008年12月24日(水) 03時03分
奈々が「生きた証し」路上で熱唱…事件で妹失った姉(読売新聞)
2004〜05年に福岡県内で女性3人が相次いで殺害された事件で、18歳の妹を失った姉が、妹への思いを歌詞にした曲を作った。
「一緒にすてきな女性になろう」と誓い合った日に事件は起きた。この世界に妹が生きたことを形に残したいと願い、路上などで歌っている。
イルミネーションがきらめく福岡市内の公園。12月18日の夜、久保田結花(ゆか)さん(26)はギターをつま弾き、自作の「Nana」を歌った。
−最後に会った君はあんなに笑って あたしに「頑張れ」と手を振った
結花さんの妹は、連載「死刑 第2部 かえらぬ命」でとりあげた奈々さん。
04年春、18歳だった奈々さんは、難病の膠原(こうげん)病を克服し、専門学校に通うために故郷の長崎・的山(あづち)大島を離れて、福岡県飯塚市で一人暮らしを始めた。北九州市の大学にいた結花さんは、妹のために赤いマフラーを編んで贈った。
その年の12月12日、大学で所属していた吹奏楽部の演奏会に奈々さんを招いた。開演前、はじけるような笑顔で励ましてくれた奈々さんは、帰宅途中に携帯電話でメールを送ってきた。〈一緒にすてきな女性になろうね〉。その時のメールでそんな約束も交わした。
しかし翌日、奈々さんの遺体が見つかった。帰り道、公園に引きずり込まれ、巻いていた赤いマフラーで絞殺されたと聞いた。3か月後に逮捕された鈴木泰徳被告(39)(1、2審死刑、上告中)は、奈々さんの後、さらに女性2人を殺害していた。
事件直後は取り乱す母を支えるのに必死で、涙も出なかった。「家族で一番近くにいたのに、守れなかった。私が演奏会に誘ったりしなければ……」。時折、自分を責めさえもした。
転機は昨年12月の命日のころ。「音楽の力で、奈々の生きた証しを残したい」と、作曲を思い立った。「天国の奈々にも届いてほしい」と、自然と叫ぶような曲調になった。その年の暮れ、的山大島の実家に帰った時に、完成した「Nana」を歌い、両親の前で初めて泣いた。
今年は会社に勤めながらライブハウスや路上で歌い、インターネットで動画も公開した。偶然、曲を聴いた奈々さんの同級生が、結花さんのサイトに「命日にも聴きたい」と書き込んだ時は、うれしかった。
−どんなに泣いても 君が戻らないなら せめてその笑顔に近づけるように笑おう
「曲を通じて色々な人に奈々のことを知ってもらえて、自分の気持ちもようやく前を向けた」と言う。
来年1月7日には、奈々さんの「23歳の誕生日」が巡ってくる。結花さんは、事件のあった公園に、妹へ贈る花束を置くつもりだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081223-00000045-yom-soci