コマのように回りながら、3段の円形舞台がゆっくりとせり上がってきた。
舞台上には、当時ミュージカル女優として頭角を現していた草笛光子(75)。歌い出そうとした瞬間、舞台下から男の絶叫が聞こえた。「止めろ! 足が挟まっている」
1957年4月。新宿コマの舞台公演の第1弾、ミュージカル「廻れ!コマ」と「葉室烈人(ハムレット)の恋」が上演されていた。コマ劇場の名前の由来となった、回る舞台がこの公演で初めて使われた。草笛はハムレットの恋人オフィーリア役を演じていた。
叫び声が聞こえたのは、舞台の見せ場の一つ、オフィーリア狂乱の場面。その声が耳の奥に残ってしまい、集中力が切れかかったが、何とか歌い上げた。後で、裏方の大道具の一人が舞台装置に足を巻き込まれたことを聞き、しばらくこの舞台に上がるのが怖かったという。「“コマ”に振り回されちゃった」。草笛は笑う。
阪急電鉄グループを率いた劇場創設者の小林一三は、開場記念パンフレットで「新しい様式の舞台を、演劇界のあらゆる野心的演出家や芸能人の諸君に提供したい」と記している。安部公房や野間宏といった当時の劇作家や演出家らは、珍しかったせり上がり式の円形舞台の視察のため、新宿コマに足を運んだ。
草笛も公演後に安部と野間らに新宿コマ近くの日本料理店に呼び出され、「どういう演出ならあの舞台はいかせそうか」「目は回らないのか」などと質問攻めにあったという。
ただ、草笛は、鳴り物入りで導入された円形舞台も初公演中は上昇中に突然止まったり、舞台が下がらなくなったりと、関係者をやきもきさせた——と明かす。「毎日、その日の公演前に舞台が無事に終わってくれることを祈ってました」
草笛にとってこの劇場で忘れられない出来事がもう一つある。
1964年7月公演のブロードウェーミュージカル「努力しないで出世する方法」。リハーサル中、劇場内のスピーカーからひび割れた雑音が漏れていることに気付いた。自分の声もスピーカーを通すと、まるで別人の声のように聞こえた。
リハーサルを中断して無線マイクを外した。劇場関係者が見守る中、ミュージカルの劇中歌をマイクなし、無伴奏で歌った。「この音をそのままスピーカーから出してほしいという一心でした」と草笛は語る。すでに新進女優の段階は過ぎ、ミュージカル一筋にやってきた強烈な自負があった。自らの行動でそれを再確認した日だった。
草笛は言う。「役者が演技を競い合い、役者と裏方さんの汗と涙が劇場に染みこんで初めて人間くさい、どこかほっとする劇場になるのよ」。新宿コマはまさにそんな劇場だったという。
◎
今もテレビ、舞台など演劇界の第一線で走り続けている。来年1月20日からは、主演の舞台「6週間のダンスレッスン」で北海道や東北各県を回る。
草笛が新宿コマの舞台に立ったのは5公演。徐々に「芝居より、歌謡ショーに向いている場だ」と感じるようになったこともあり、1976年が最後の出演となった。
「歴史ある新宿コマがなくなるのは残念」と話しつつ、再開発後の姿に触れ、「小さくてもいい。芝居向きの舞台ができるといいわね」と静かにほほ笑んだ。(敬称略)