南アルプスの稜線(りょうせん)を望む長野県伊那市の墓園。「きぼうのいえ」と刻まれた墓碑の脇の納骨室に、31体の小さな骨つぼが一つ一つ並べられていく。
伊那市出身の山本美恵さん(50)が、夫の雅基さん(45)とともに東京の山谷地区にホスピスを構えて6年余。先月17日、入居者のために作った墓で初めての納骨式が行われた。
古里を離れたのは18歳の時。東京で看護師をした後、医療系出版社に就職して看護学生向け雑誌の編集者になった。いつも帰宅は午前0時過ぎ。仕事漬けの生活に疲れ果てていた時、気分転換になればとホスピスのボランティア養成講座に顔を出した。2001年の春だった。
同じ講座を雅基さんも受けていた。「ホームレスのためのホスピスを建てたいんです」。打ち明けられた構想に心動いた。
暮れに結婚。翌年、美恵さんの貯金の1000万円を元手に銀行から融資を受け、キリスト教団体などから寄付金も得て2億円近い費用をかけ、山谷に4階建てのホスピス「きぼうのいえ」をつくった。個室にナースコールを取り付け、ボランティアがくつろげる部屋を設けたのは、美恵さんのアイデアだ。
入居者の体調に合わせて介護の方法や食事の献立を考える。深夜にナースコールが鳴れば、自宅から駆け付ける。では亡くなった後のケアはどうするのか。そこがずっと気がかりだった。今までに看取(みと)った入居者は87人。3人に1人は遺骨の引き取り手すらいない。墓を作ろうと走り回ったが、都心は墓地の価格が高くて手が出なかった。
私の古里ならどうだろう。そんな思いがふと浮かんだのは昨年夏に帰省した時だった。豊かな自然に囲まれた土地なら、みんなも気に入ってくれるのではないか……。今年、思いを行動に移した。雅基さんに相談して支援者に募金を呼びかけると、300人から寄付が集まった。
今月8日に58歳で息を引き取った男性も身寄りのない一人だった。咽頭(いんとう)がんを患い、声は出せなかったが、入居して来た頃には筆談で「早く死にたい」と語っていた。
男性は幼い頃に親と別れ、簡易宿泊街を転々としてきた。手を握ると、ぎゅっと握り返してくる。「親から受けることのできなかった愛情を、取り返そうとしているのではないか」。そう思い、丁寧に体をさすった。
「もう少し生きていたい」。男性は亡くなる直前にこう書いた。今はホスピスの礼拝堂に遺骨が安置されているが、やがて伊那で眠る。
人生とは不思議なものだと美恵さんは思う。たまたまのぞいた講座で雅基さんと出逢(であ)わなければ、今の生活はなかった。「ここに来る人たちにも、私たちと巡り合ったことで最後を穏やかに過ごしてもらえたら」。そう願っている。(児玉浩太郎、30歳)