色づいたイチョウの葉が舞う団地の庭でお年寄り3人がテーブルを囲んでいる。首に蝶(ちょう)ネクタイを着けた岩坂忠征(ただゆき)さん(64)が、足をひきずりながらコーヒーを運んできて語りかけた。「また病院さぼったんだ。ちゃんと行かないとだめだよ」
東京・新宿区の戸山ハイツアパートは、5〜14階建ての32棟が立ち並び、約3000世帯が暮らすマンモス団地だ。この中の喫茶店「珈琲(コーヒー)専科メルヘン」で岩坂さんがコーヒーをいれるようになって30年余になる。
大学入学のため北海道から上京したのが1963年。在学中から喫茶店で働き、28歳の時、この団地の抽選に応募した。それまでは8畳一間のアパートで妻子と3人暮らし。3LDKは夢のような広さだった。「狭い暮らしから解放された。宝くじに当たったような気分でした」
33歳で独立。自分の住む棟の1階で開いた店は、子供を学校や幼稚園に送り出した主婦らで午前中からにぎわい、午後になると帰ってきた子供たちの歓声が団地に響いた。
同い年の妻、恵美子さんとコーヒーをいれ続けて20年が過ぎた97年の夏。激しい痛みが足を襲い、歩けなくなった。ひざの軟骨が剥離(はくり)していた。「職業病ですな」。医師から言われて納得した。開店以来、盆正月もなくカウンターに立ち続けてきたのだ。
「8階のおじいちゃん、亡くなったらしいね」。そうした会話を店でよく聞くようになったのも、この頃からだ。若かった団地はいつしか老いていた。薬局、写真館、すし屋……。昔からあった店が次々と消え、団地の商店街は櫛(くし)の歯が欠けたようになった。
「ここも閉店したら、人と話のできる場所がなくなってしまう」。開店時からの常連で今は81歳になる男性から、そう言われたことがある。「あれで気付いたんです。自分の生活のためにやってるつもりだったけど、ひとさまの役にも立っているんだ、と」
ひざを痛めた直後は、手すりを頼りに立つのがやっとで、コーヒーを盆の上で何度もこぼした。だが、店の役割を知った以上、休むわけにはいかない。リハビリに励み、1年後にはコーヒーをこぼさずに運べるようになった。再び悪化しないよう、今も毎朝5時に起きて自転車を10キロこぐ。
現在、入居者の40%を65歳以上が占める。今年7月、常連の70歳代の男性が3日間顔を出さなかった。心配した客が部屋を訪ねると、風邪で寝込んでいた。「うちの店は孤独死を防ぐ役割も負ってる、なんて言ったらオーバーかな。とにかくお客さんが来てくれるうちはやめられません」
来年2月には自分も65歳になり、高齢者の仲間入りをするが、蝶ネクタイをほどくことは当分なさそうだ。(畑武尊、30歳)