2008年12月14日(日) 21時01分
「調整」知らずの小泉さんもグッバイ!(産経新聞)
■強さの秘密
来年、海の向こうではブッシュ米大統領が民主党のオバマ次期大統領にバトンを渡し、日本では小泉純一郎元首相が次期衆院選への出馬を次男に譲り、政界を引退します。平成13年4月の小泉政権誕生後、その大半を外務省と首相官邸を拠点に取材してきたため、小泉さんの政界引退には一抹の寂しさを感じます。内政では何と言っても郵政解散と総選挙、外交では一連の日朝交渉が印象深く思い出されます。
最近では、安倍晋三さんに続き、福田康夫さんと歴代の首相がいともあっさりと政権を投げ出すふがいなさが目立ちます。自民党内で圧倒的な支持を受けて総裁になった麻生太郎首相も就任2カ月で早くも支持率は急降下し、渡辺喜美元行革担当相のように離党を口走る議員も出てきました。
ではなぜ、小泉さんは長期政権を実現したのか。政界引退を前に、その強さの秘密について、取材メモをたぐりながら整理しておきたいと思います。
小泉さんが得意としたワンフレーズには「聖域なき構造改革」「改革なくして成長なし」等々、誰もが知っている有名なものを含めて数え上げたらきりがないほどたくさんあります。しかし、ほとんど誰にも知られていないこんな彼の言葉が、私にとって一番忘れられないものとなりました。
「結局、景気が良かったから(政権が)続いたんだよな」
政権末期、与党幹部と首相公邸で酒を飲みながら語ったものですが、なかなか正鵠を得た発言だと思います。衆参の「ねじれ」状況の中、すべてが景気のせいだとは言いませんが、安倍さん、福田さんの場合、景気悪化の中で「何をやってもダメ」、「何を言ってもケチがつく」という底なし沼にはまったといえるのではないでしょうか。
景気が悪ければ、国民も小泉劇場に拍手喝采する余裕なんてなかったでしょうし、逆に景気がよければ安倍、福田両政権をみる国民の目も、もう少し温かなものになっていたのではないかと思います。
その意味で、支持率が一気に下落した麻生政権も失言とか2転3転する発言など諸般の理由はあるのでしょうが、基本的には歴代政権と同じように、悪化の一途をたどる景気に翻弄されているといえるでしょう。
そんな景気に支えられた小泉政権を「光と影」という側面から振り返ってみたいと思います。「光」の部分でいえば、劇場型政治を永田町に持ち込んで国民が第2、第3幕と続きを見たくなるように、政治を面白くしたことでしょう。
首相官邸でキャップをしていた当時、政局の節目で東京・駒場の大学キャンパスを何度か訪れました。東京大学の御厨貴教授に話をうかがうためです。
先生が常々言っていたことですが、小泉首相は、本来ならば味方であるはずの自民党に抵抗勢力=悪役をつくり、これをバッサバッサと切っていきました。そういう小泉劇場を通じて政治に関心のなかった国民を政治に引き付けた功績は大きいとおっしゃっていました。郵政民営化に反対する議員の選挙区に賛成派の刺客を放った郵政解散がそのピークでしょう。
一方で、小泉流の政治というのは、抵抗勢力=敵を見出して容赦なくたたくものでしたが、そこには妥協も、調整もありませんでした。政治というのはある意味、敵を瞬時に選別するという点と、長期的に妥協して調整するという面があります。しかし、小泉さんが首相になってからは、与党内調整という柔らかな政治技法が実質的にはまったく見られなくなりました。
昔は、利権の匂いがそこはかとなく漂ってくるような、ちょっといかがわしい感じの族議員というか、調整型の政治家がいっぱいいましたが、小泉政権下の自民党では、絶滅こそしませんでしたが、絶滅危惧種ぐらいの少数派にはなっておりました。それまで政府法案の事前審査の場だった自民党の政務調査会、総務会などは不満分子のガス抜きの場と化しました。橋本龍太郎元首相が導入した経済財政諮問会議を政策遂行のエンジンとし、世論の圧倒的な支持を背景に大統領型のトップダウンで、与党を引っ張っていったのが小泉政治でした。
一方で、与野党が調整を図る場である国会対策委員会のような政治のインフラが機能しなくなり、よくも悪くも、国会は与野党がオープンな場でむき出しの力で争うガチンコ勝負の場となってしまいました。衆参の多数派がねじれる今、なおさらそれが機能しなくなり、政権与党を預かる大島理森国対委員長はものすごく苦労されています。
「影」の部分でいえば、先ほども指摘したとおり、「小泉さんは敗者に対する同情が一抹もない」(御厨教授)政治手法をとったということでしょうか。だから、悪役をなで切りにする小泉さんのチャンバラをみている国民には、始めは爽快感があるけれども、何度も何度も敵をやりこめるシーンを見せられると、国民は小泉さんの中にニヒリズムが宿っていることに気付くわけです。
「弱者切り捨て」「格差社会」。政権終盤にはこんな批判が渦巻きました。これが地方を中心に、参院選での反自民票につながったという指摘があります。参院選で歴史に残る大敗北を喫した安倍さんもその意味で、小泉政治の割を食ったといえなくもないのではないでしょうか。
■引き際の美学
小泉さんは、たまに与党幹部らと酒を飲みながら会食しておりましたが、出席者の1人によると、小泉さんは主にコップ酒を手酌であおりながら、好きな歴史談義を披露して、最後には決まって赤穂浪士の話をしていたようです。
手酌というのは、人につがれると酒の量が分からなくなるからだということですが、だいたい、コップで日本酒を3杯飲むんだそうです。ときにはワインも飲むし、焼酎もあおっていたようですが、興が乗ったときはコップ酒を3杯以上もグビグビ飲むこともあったそうです。
そこで、赤穂浪士の話ですが、郵政政局真っ盛りの平成17年当時、首相が決まって言うのは、「赤穂浪士は最後に死んだのがいいんだ。死んだから人の記憶に残るんだ」という彼なりの美学でした。
小泉さんは首相在任中に歌舞伎の「元禄忠臣蔵」の中で最も人気があるとされる、「御浜御殿綱豊卿(おはまごてんつなとよきょう)」を見に行って涙を流したり、赤穂浪士が眠っている高輪の泉岳寺を訪れてお参りまでしています。
このときに記者団からお参りの感想を聞かれて「あらゆる苦難を乗り越えて本懐を遂げる。なかなかできないことだ」としみじみ語っておりました。
人からいろいろと批判されても、本懐を遂げる。そこに自分を重ね合わせて男の生き様を探っていた−というと格好いいんですが、そういう自分に酔っている部分もあったのではないかと思われます。
しかし、郵政民営化だって道半ばだし、道路、財政再建…と中途半端に放り投げた政策は山ほどあり、ずいぶん無責任だとも思いますが、引き際という点ではなかなか鮮やかだったのではないでしょうか。
衆院を解散した年の通常国会冒頭の施政方針演説で首相は、郵政民営化をはじめ、構造改革を成し遂げることが「男子の本懐」と演壇で絶叫しました。自ら赤鉛筆で役人が書いた草稿を書き直したものです。これは彼が引き際を意識して自ら退路を断ったんだろうなと思いながら演説を聞いていました。
後講釈になるかもしれませんが、前回の衆院選で与党が327議席という圧勝だったからこそ、小泉さんは逆に総理の座にしがみつくのではなく、余力を残して任期満了と同時にスパッと退陣し、余った力を安倍さんという事実上の後継指名に使ったんだろうと思います。各種世論調査をみていると、引退を表明するまではまだ余力がありそうだから、てっきりその影響力を政界再編に使うのかと予想していたのですが、これははずれてしまいました。
これは私がその場に居合わせた関係者から後日、直接聞いた話なんですが、小泉さんは首相就任直後、歴代総理との会合で「選挙で負けない限り、絶対自分から辞めない」と宣言していたということです。つまり国民の支持がある限り退陣しないというんですね。党内に政権基盤のない、いかにも支持率頼みの首相らしい発想だといえるのではないでしょうか。
参院で郵政法案が否決された際、これまでの自民党的な発想なら、ふつうはそこで「ギブ・アップ」となって総辞職するのが常でしたが、小泉さんは違いました。首相官邸の執務室で一人、ワーグナーを大音響で聞きながら瞑目し、政治家として生きるか死ぬかの決戦のときを静かに迎えていました。解散の段取りを打ち合わせるため部屋に入ろうとした秘書官も、鬼気迫る小泉さんの後ろ姿を見てそっとドアを閉めた、といっていました。
小泉さんは「郵政民営化法案が否決されたら衆院を解散する」と公言していたのですから、それを実行に移すとはなかなか大したものだと思って眺めていたものです。しかも、解散の理由が「国民の声を聞いてみたい」っていうんですから、彼の言葉にシビレた人は多かったのではないでしょうか。
解散した日の夕方に行った記者会見は、確か午後7時半ごろだったと思うのですが、後になって知り合いのNHK記者から徐々に視聴率が上がっていったと聞きました。
その時私は、総理からみて正面の最前列に座り、幹事社ということで代表質問したのですが、あのときの首相の表情はなかなかの迫力がありました。解散直前に与党幹部らに言った「殺されてもいい」なんていう物騒な発言は、あれは本音そのもので、太平の惰眠をむさぼる与野党の議員たちにとって、大きなインパクトをもって伝わったのではないでしょうか。
よく、政治家は観測気球をあげたり、政敵など他者に伝わるのを計算したうえで、わざと逆のことを言ったりするケースが少なくないのですが、小泉さんの場合は発言を裏読みしたり深読みするのではなく、額面通りに受け止めてその先の行動を読んだときの方が政局を読み誤らずに済むケースが少なくなかった、というのが実感でした。
「小泉純一郎にオフレコなし!」。平成7年、初めて自民党総裁選に立候補した小泉さんは東京・高輪の議員宿舎で帰宅を待つ記者らにこう広言した上で、1階フロアのソファにどっかと座り、番記者であろうとなかろうと関係なく、集まる記者団に向かって、「○×陣営の票集めはどうなってるんだ?誰か教えてくれよ」なんて平気で聞いていました。
最近、失言の目立つ麻生首相にも似たようなところがあって、私が麻生政調会長の番記者をしていたころも、危なっかしくてその発言にはいつもハラハラさせられたものです。全部オフレコだと思って聞けば耳にスッーと入っていくのですが、ポストがポストなので別の意味での緊張が強いられました。ただ、自分の言葉で話すから人間としてはとても面白いんですね。お二人とも。ただ、首相になってからは、自ずと話し方も内容も律しなければならない部分というのがあってしかるべきなんですが…。
■素人パワー
小泉政権というのは良くも悪くも「素人の政治」であり、旧来の自民党、とりわけ、旧田中派に代表される「玄人の政治」ではありませんでした。
永田町における政治のプロの世界では、小泉さんにとって抵抗勢力といわれている政治家らの方が、はるかに手ごわい存在で、小泉さん自身も改革断行と絶叫するだけの言葉立ての政治から、法案を通すための妥協が必要となってくるとみられていました。
しかし、そうした妥協を嫌う小泉さんは、郵政政局での解散劇で、実際に亀井派の島村宜伸農水大臣が署名を拒否した際、即刻これを罷免して小泉さんが農水大臣を兼務して解散を断行するという、実にドラマチックな大立ち回りをやってのけました。自分をどう歌舞けばいいのか、よくわかっているというか、時局を読む本能的な鋭さを感じさせられました。
その強さの根源をいろいろ探ってきましたが、もう少し土足で内面に踏み込んでみたいと思います。
小泉さんは自民党という組織に大事に育てられてきたわけではありませんでした。だから、「自民党をぶっ壊す」なんて平気でいえたのでしょう。冷や飯を食わされ続けて常に冷めた目を持っていたからこそ、自民党崩壊につながりかねない解散という高いハードルを超えることができたのではないかと思います。小泉さんは、外務や財務、通産といった重要閣僚だけでなく、党3役すら経験したことがないのですから。
それが何を意味するかというと、党内における政治の調整が何たるか、足して2で割る妥協にほかならないのですが、いい悪いは別にして、こういった伝統的な自民党の政治手法=根回しの文化を実際に知らないし頭で分かっていても、そうしようとは思わない。いや、理解できていなかったのかもしれません。
これは強みであり、弱みでもありました。強みは調整役不在のためすべて自分で判断するところで、周囲の事前のコントロールが効かないという点です。もっとも、われわれ国民からみれば、権力と地位が一致するので、とても分かりやすい利点がありました。それまでは、田中派、経世会に象徴されるように、地位は官邸にあるが、実質的な権力はコッチだぞ−という権力の2重構造が料亭政治とあいまって、本当に日本の政治を分かりずらいものにしてきました。田中派などで「シャッポは軽い方がいい」などと語り継がれていた政治風土がそれです。
しかし、小泉時代は、田中派時代からさまざまな調整のノウハウを持っている橋本派(現津島派)など政治のプロ集団の無力化がきわだちました。政治のプロが「政治とはこういうものだ」といくら説明しても、小泉さんはそれを理解しようとしなかったというよりも、理解できなかったんだと思います。これにはプロ集団もお手上げ状態で、水面下の調整はまったく流行らず、結果として政治をある程度透明にしたのは間違いないでしょう。
そして今、後戻りのできない不可逆的と思われた小泉構造改革は大きな岐路に立たされています。政治を取り巻く環境が激変する中で、小泉路線は潰えてしまうのかどうかは知るよしもありませんが、レールを敷いた小泉政治の結果責任についての評価にはもう少し時間がかかるかもしれません。今度機会があれば小泉さんの外交について、特に日朝交渉、靖国参拝をめぐる日中首脳階段の舞台裏など、取材の現場で見知ったことを書き留めておきたいと思います。
【参考資料】
「官僚王国解体論」(小泉純一郎著、光文社)
「小泉純一郎宰相論」(屋山太郎著、海竜社)
「保守本流の直言」(田中六助著、中央公論社)
「『保守』の終わり」(御厨貴著、毎日新聞社)
「自民党「橋本派」の大罪」(屋山太郎著、扶桑社)
「歴代首相物語」(御厨貴編、新書館)
「日本ガバナンス」(曽根泰教著、東信堂)
「政権」(野坂浩賢著、すずさわ書店)
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