2008年12月14日(日) 17時36分
医者はどこに消えた? 「医療崩壊」の理由と解決策(産経新聞)
東京でさえも妊婦受け入れ拒否が起きたことに、ただならぬ「医療実態」を感じた人は少なくないだろう。加えて今年は産科や小児科病棟の閉鎖など、各地から医療混乱の報告が相次いだ。医師不足は深刻である。厚生労働省はようやく腰を上げ、医師定数の増員策を考えはじめたが、直ちに状況が好転する見込みはない。なぜ、医療現場から医師の姿が消えたのか。なぜ、ここまで状況は深刻になってしまったのか。これから、どうなっていくのか。
■医師は減っているのか
日本の人口1000人あたりの医師数は2・0人。これはOECD(経済協力開発機構)諸国の中では、30カ国中27位。最低レベルの数字だ。最高はギリシャの4・9人、フランス、ドイツは3・4人、アメリカは2・4人といった具合である。
先進国の中では、日本は医者が少ない部類の国に入るといえそうだ。
国内に目を転じてみよう。
診療科別にみると、とりわけ「産科」の現場で悲痛な声があがっている。厚労省の統計によると、産婦人科医の数は平成14年には全国で1万1034人だったが、18年には1万74人と、1000人近く減っている。
産科医療の脆弱(ぜいじゃく)ぶりを象徴したのが、今年秋に社会問題化した、救急現場での妊婦受け入れ拒否問題だった。
東京都内で脳内出血の妊婦が、都立墨東病院など8病院に受け入れを拒否され死亡した問題が10月に発覚。翌週にはやはり東京都内で脳内出血の妊婦が杏林大病院など、少なくとも8病院に搬送拒否されていたことが分かったのだ。
都立墨東病院は東京都内に9つある「総合周産期母子医療センター」の1つ。高度な産科医療態勢が整っていて当たり前の病院のはずだった。
しかし、妊婦の搬送が打診された週末・休日には、本来2人以上の勤務体制が組まれるはずだったのに、1人しかいなかった。医師のやり繰りがつかなかったというのである。
日本の首都で活動する総合周産期母子医療センターのこの実態には、唖然とさせられてしまう。
受け入れ拒否の発覚後に、都立墨東病院を緊急調査した舛添要一厚労相からはこんな言葉が出た。
「やっぱり、問題は構造的な医師不足だ」
東京のど真ん中で発生した受け入れ拒否問題は、「医師不足といっても、地方に比べれば都会はまだいいほう」といった認識が甘いものであったことを関係者らに思い知らせた。
■医師不足はなぜ起きたか
医師不足の最大の“犯人”は「国」だ。
国は昭和57年に医師数の抑制方針を閣議決定している。戦後進めてきた「1都道府県に最低1医科大学を設置」する政策が軌道に乗ったことが、閣議決定のきっかけとなった。
《医師数が増加しつづけると、将来的に国民が病院漬けとなり国家財政を破綻(はたん)させる懸念がでる》
いわゆる「医療費亡国論」と呼ばれる理論で、行財政改革を推進する主柱の1つとなった。一方で、医師過剰による過当競争を心配した日本医師会も、医師数の抑制に理解を示してきたという経緯もあった。
平成9年にも、将来の人口減などを見越して医師数の「削減継続」が閣議決定されている。その結果、現在の全国の医学部入学定員は、ピーク時だった昭和59年の8300人より約1割少ない約7800人に制御された。
「それでも日本の医師数は約28万人。死亡や引退する人を除いても、毎年3500人〜4000人程度増加し続ける。医者が不足しているのではなく、偏在しているにすぎない」
これが厚労省の言い分だった。
数字の上で医師の総数がゆるやかに増えているというのに、なぜ「急患受け入れ拒否」や「産科閉院」などの深刻な現象が起きるのか。その矛盾は数字のまやかしとみるべきだ。
「医師免許を取得した『医師総数』と、実際に現場で働いている医師の数は違う。例えば、免許を取って現場に出た女性医師が、育児や家事と医師業を両立できずに、現場から離れていくという現実も多々ある。医師総数は増えていると厚労省はいうが、実際に働いている医師の数は年々減少しているとみるべきだ」
医療関係者はそう説明するのだ。
ただ、「働ける医師の総数」が減少しているからといって、これほどまでの急激な崩壊現象が連鎖するものであろうか。
問題はもうひとつ、医師が特定の地域や、特定の診療科に「偏在」しているのではないかというところに及んでくる。
■問題は医師の「かたより」
「医師の偏在」を考えるうえで大きなポイントは2つある。「地域の偏在」と「診療科の偏在」だ。
厚労省の統計によると、人口10万人あたりの医師数は、一番多い東京都で264人。一方、青森、岩手、岐阜といった各県では160人台しかいないのとは対照的だ。地方でも、郡部にいくとさらに医師不足が進んでいる。
都会は多いが、田舎は少ない。こうした傾向が、医療の世界でも加速しているわけだ。
こうした「地域の偏在」に「診療科の偏在」が加わり、事態が複雑になっている。
医師はいたとしても、ある特定の科に集中し、他の科には集まらない。若手医師から「きつい、厳しい」科は敬遠され、「比較的ラクで、開業しやすい」科が人気を集める傾向が強まっているのだ。
具体的に言えば、「産科」や「小児科」「救急」などは緊急性が高く命にかかわる分野のため医師は私生活でも制約を受け、さらに「医療過誤」との訴えを受けるリスクも大きい。
「一生懸命やっても最後にはトラブルになって裁判で負けるなんて、やっていられない」(若手医師)と、これらの診療科は敬遠されがちとなった。医療崩壊だといわれる「患者受け入れ拒否」「閉院」などの現象が産科や小児科が頻発することの理由が、これで理解できる。
つまり、「働ける医師」は減少傾向にあり、それに地域や診療科ごとの医師の適正な配置が実現できていないことが絡み合い、現状のような事態を引き起こしているとみるべきのようだ。
それだけではない。
年々すさまじい勢いで専門化、高度化する医学・医療は、現場により多くの専門医を必要とさせている。
「それまで3人の医師がいれば事足りたのが、倍の6人いなければ保てなくなった。技術の高度化は、現場の人員増を求める結果になった」
中堅勤務医がこう語るように、現状は相対的な「医師不足」を激化させているようなのだ。
また、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)の普及など、従来よりも丁寧な医療が求められることで、医師が個々の患者に割かなくてはいけない時間も増えた。個々の医師がより忙しくなり、それだけでも相対的な医師不足感を加速させているのだ。
さらに、もうひとつ。
日本の医療システムを根本から崩壊させるような“外力”が加わり、混乱が加速した。
厚労省が主導し平成16年4月から実施された「新臨床研修制度」である。
■混乱の原因は「新研修制度」
日本では医師を育て、一人前にして現場に送り出す機能を担ってきたのは大学医学部だった。
医学部は専門ごとに「医局」を構成し、教授をピラミッドとした体制を形成してきた。この「医局」が地元の国公立病院に医師を派遣し、地域医療を機能させてきたのである。
大学医学部に入学した医学生は6年間の教育を終えて医師免許を取得すると、専門を決め、その大学の医局に所属して、付属病院で実地訓練を受けた。これが旧来の臨床研修制度である。
新制度はこれを一変させた。
まず、研修病院を出身大学だけでなく、全国の民間病院も含めた全病院に拡大させた。新人が希望する研修病院と、病院側が受け入れを希望する新人を突き合わせ(マッチング・システム)、全国規模で新人が研修したい病院を選択できるようにした。
もうひとつ、旧制度は新人にすぐに専門を決めさせたが、新制度では一定期間にわたって専門を決めさせず、全診療科を経験させるようにした。
旧来の医師が専門性が高すぎ、「専門以外の病気はまったく分からない」という状態が医療事故の原因になっていたことを踏まえた措置で、一通りの初期医療(プライマリー・ケア)ができる医師を育てようというのが厚労省の狙いだった。
だが、研修制度改変によって、思いもよらない現象が起きた。
出身大学の医局を研修先として選ぶ新人が激減したのである。多くが都市部の民間病院を選んだ。
教授を頂点としたピラミッド社会の大学医局の権威性、徒弟制を嫌う若手が多く、研修後には出身大学に戻らずのまま都市部の民間病院に就職してしまう医師も増えたのだった。
これによって大学医局で医師不足が発生した。大学医局の医師不足は、付属病院での医師不足を意味する。
そのままでは立ちゆかなくなった「大学の医局=付属病院」は、自身の存続のため、これまで公立病院などに派遣していた医師を医局に戻す措置をとった。
この結果、大学医局から医師の派遣を受けていた地方の自治体病院を中心に、医師不足が一挙に進行することになった。
地域医療に詳しい埼玉県済生会栗橋病院の本田宏副院長はこう言って、危惧するのだ。
「新研修制度が始まり、大学医局による医師派遣機能が壊れ、医師不足が顕在化した。今後も高齢者の増加なども手伝って医療需要は確実に増えるため、事態は現状よりも深刻化する可能性がある」
■どうやって医師を増やすか
各地からの相次ぐ“医療崩壊”の知らせに、「医師は不足していない」と主張してきた厚労省も方針を見直さざるを得ない事態に追い込まれた。
「医療崩壊と言われる状態なのだから、従来の医師数抑制政策を見直すことで総理の了解を得た」
6月17日。舛添厚労相は会見で明確に方針転換を表明した。さらにこうも加え、従来政策からの決別を宣言した。
「現実を見てやらないと。官僚が霞が関の机の前に座り、紙と鉛筆だけで数字を合わせをしただけで政策とされたのではかなわない」
では、どうやって医者を増やすのか。
医師増員策の下地となる政策を描く役割を担ったのは、厚労省などが立ち上げた複数の「専門家会議」である。
舛添厚労相が自ら会議をリードした「安心と希望の医療確保ビジョン」会議は6月に、医師数増員の方針や、産科医不足を補うため病院内に助産所を整備すること、パートタイム的な労働体系を整備することなどで女性医師の復職を支援することなどをとりまとめた。
8月末には、確保ビジョンの報告をうけて立ち上げられた「『安心と希望の医療確保ビジョン』具体化に関する検討会」が、将来的に医学部定員を現在の1・5倍に当たる約1万2000人にする必要があるとする報告をまとめた。
さらに年内には、厚労省と文科省が合同で立ち上げた「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」が、研修制度にメスを入れた提言をまとめる予定だ。
過去には医師数抑制に理解を示したこともある日本医師会は、国より一歩先に昨年8月の段階で対策を提言している。そこでは、「医学部定員の適正化、医師の再就職支援」といった中期的対策や、「女性医師の就業支援、医学部定員の地域枠設定、医療現場を守る診療報酬引き上げ」といった緊急対策が盛り込まれた。
■偏在解消の“強制力”と“就労自由”のジレンマ
国の医師数政策が「抑制」から「増員」に方針転換されたからといって、それが特効薬になるわけではない。
増員策を話し合った懇談会や検討会では、百家争鳴の意見が専門家たちから出されている。
例えば、都会に集中している医師偏在。
検討会では、名古屋セントラル病院の斉藤英彦病院長がこう提案した。
「直ちに偏在や不足を是正するには、各地の医大ごとに、地元に就職する人の地域枠を設けるべきだ」
各地の医大設置の精神から言えばこれは正論だが、阻むのは「就労の自由を奪うことになる」という考え方だ。
舛添厚労相からは「2年の研修期間を1年に短縮して、医師が現場に出るまでの時間を短縮させる」といった意見も出た。
これに対し徳島県立中央病院の永井雅巳病院長はこう言って慎重姿勢を見せるのだ。
「1年にするメリットとデメリットをしっかりと整理しないと、再び同じような議論の混乱を招きかねない」
検討会の座長である高久史麿・自治医科大学長はこう指摘した。
「今の医療提供体制を変えずに医師を増やしても、アンバランスが広がるだけ。ただ増やしても問題は解決しない」
北里大の海野信也教授は「増えてきた医師が働き続けられる現場でないといけない」と新たな制度づくりを提案している。
そもそも医学部の定員を増やしても、医師が育つには10年近い歳月がかかるという現実がある。
どの専門家も、現実を直視した意見を真剣に戦わしているが、事態は重症なだけに、妙薬づくりは至難の業。
ここまでくると医師偏在を解消するために厚労省なり医師会なりが何らかの強制力を発動させてもいいのではないかとも思えるが、そこには「就労の自由」という権利がたちはだかる。
しかも、地域ごとの医師偏在の解決策は議論の対象にのぼっているが、もうひとつのポイントである診療科ごとの医師偏在に至っては、議論にもなっていない。
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