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2008年12月13日(土) 21時02分

景気悪化で解雇、日系3世男性の悲哀「私たちは部品じゃない」産経新聞

 中高年のリストラで乗り切ったデフレ不況後の人手不足を穴埋めし、日本経済を下支えしてきた非正規雇用の外国人労働者。しかし、急激な景気の悪化により、使い捨てするかのように彼らの解雇や契約打ち切りが相次いでいる。景気の動向に翻弄(ほんろう)され、派遣会社から半年で3度も「解雇通知」を受けたペルー国籍の日系3世の男性は、「私たちは機械の部品じゃない」と怒りで声を震わせた。

 ノセ・リカルドさん(34)は平成12年7月、故郷の首都、リマに身重の妻を残し、「生活のため」に日本の地を踏んだ。三重県内の自動車工場に勤務した後、4年前からは名古屋市内の派遣会社に登録し、同県いなべ市内の電機メーカーの工場で働き始めた。

 「日本に永住したらいいよ」「長く勤めてほしい」。工場からは温かく迎えられ、間もなく、妻と娘を呼び寄せた。

 仕事は、電子回路の基板に部品を組み込むオペレーター。時給は当初1150円だったが、まじめな勤務態度も認められ、1500円まで上がった。永住を心に決め、昨年10月には2600万円の一戸建てを購入。娘も地元の小学校に入学した。

 すべてが順調だった日々が一変したのは、米国発の金融危機が表面化する直前の今年6月。派遣会社から、唐突に1枚の契約書を渡された。「派遣労働者雇用契約書」と書かれたA4判用紙には、それまで一度も言われたことのなかった契約期間が、「平成20年12月末まで」と明記されていた。

 何度読み返しても、意味が分からない。「日本語がうまくないせいかもしれない」。個人加入できる組合に相談すると、「署名すると有期契約を受け入れたことになる」と言われた。

 署名を拒否すると、今度は8月末で契約期間を満了するという通知が来た。交渉を申し入れたが受け入れられず、ついに9月になって、派遣契約を解除された。新たな派遣先はなく、即日解雇と同じだった。

 多いときで約50人いた工場の外国人労働者は今では20人ほどに減ったという。祖国に帰ろうかと考えたが、自分より日本語が上手になった娘が、「パパ、日本にいさせて」と懇願してくる。学校の友達と別れさせるのは忍びない。

 現在は不当解雇だとして、法廷で争う準備を進めているという。「外国人労働者が、まるで機械の部品のように扱われている」。日本経済を下支えしてきたという自負は、怒りへと変わっていた。

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