2008年12月09日(火) 18時21分
「マケドニア」…ギリシャと激しい“国名論争” (産経新聞)
【ベルリン=黒沢潤】「マケドニア」の名称をめぐり、1990年代に旧ユーゴスラビアから独立した同国と、隣国のギリシャが激しい“火花”を散らしている。「マケドニアは本来、ギリシャの一地方である」と主張し、国名変更を強く求めるギリシャは今春、マケドニアの北大西洋条約機構(NATO)への加盟を阻止した。これに対し、マケドニアは11月、ギリシャが加盟を妨害したとして、国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)に提訴する事態となっている。
マケドニアは今年4月、ルーマニアのブカレストで開かれたNATO首脳会議で、クロアチアやアルバニアとともに、加盟を承認してもらうことを期待した。NATOの盟主である米国のブッシュ政権も「伝説のアレキサンダー大王の子孫が誰であるかという議論で、NATOの拡大を頓挫させるわけにはいかない」(英BBC放送)とマケドニアの加盟を後押しした。
だが、ギリシャが拒否権を行使し、西側の一員になるというマケドニアの夢は砕け散った。同国内では今、「『ブカレスト』という単語は『平手打ち』と同義語だ」(国際紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)といい、11月17日、国際司法裁への提訴という事態に至った。
両国間の国名論争はもともと91年に始まった。オスマン帝国支配下にあったマケドニア地域がバルカン戦争(1912〜13年)後、旧セルビア、ギリシャ、ブルガリアに3分割され、旧セルビア領を引き継いだ旧ユーゴの中のマケドニア共和国が91年秋、「マケドニア共和国」として独立したからだった。
スラブ国家のマケドニアは民族的に、古代マケドニア王国とつながりがなく、ギリシャにすれば、マケドニアには領土的野心がある、とも映った。
マケドニアが93年に国連加盟した際には、両国は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の暫定名称を使うことで妥協した。だが、マケドニアは現在、憲法で定める「マケドニア共和国」の国名を使用するよう国際社会に求め、首都スコピエの空港名も「アレキサンダー大王国際空港」へと変更するなど、強硬姿勢を崩していない。
国連が現在、仲介に入り、「北マケドニア」の新国名を提案している。ギリシャもまた、経済的に貧しいマケドニアに対し、「(国名問題が)解決すれば、財政的にも政治的にも(マケドニアを)支援する」と働き掛けている。だが、マケドニアは来春、大統領選や地方選を抱えており、妥協は容易ではない。
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■古代マケドニア王国 古代ギリシャの北部に興った王国で、アレキサンダー大王(前356〜前323年)時代にギリシャを支配し、シリアやエジプト、ペルシャ、インドに攻め入って絶頂期を迎えた。ギリシャ文化はこの遠征をきっかけに、はるか東方にまで伝わった。広大な帝国は大王の死後に分裂、マケドニアの地域には6世紀ごろから、スラブ人が多数流入した。
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