文化香る街、東京は文京区・白山。音響のプロとしても知られる名物マスターが奥さんと営むお店、JAZZ喫茶「映画館」は、若者から通なご年配まで、多くのファンが通う、知る人ぞ知る名店だ。
ジャズに映画に詩の朗読や写真の展示などなど。お店に足を運べば、何かしらアートに触れ合える。大人のための贅沢な隠れ家、という形容詞がぴったりくる。時折ひとりで楽しみたい、そんなお店がここ「映画館」なのだ。誰にも教えたくないと思いつつ本に載せてしまったのだが。
「映画館」マスター夫妻は無類の猫好き。今までにたくさんの猫たちが映画館を訪れては去っていったらしい。もちろん現在も「虎太郎くん」というかわいらしい看板猫がいる。マスター夫妻の愛情を一身に受けて、甘えんぼうながら伸び伸びと育っている。先代のお父さんに似た見事なキジ虎柄。首にある三日月型の白い毛がチャームポイントだ。
虎太郎くんのお父さんは、猫好きネットワークでは名前の知れた存在であった。お客さんを中心に「伝説の猫」「心に寄り添う猫」として、みんなに愛された。名前は「オイ」。バーの猫らしく、酒や煙草の匂いもなんのその、店内で一番良い音でジャズが聴ける席を熟知、たいていそこに鎮座していたとのこと。
さすが、ジャズを子守唄にして育っただけのことはある。男らしく、堂々とした身のこなしは猫であることを忘れるほどの存在感で、彼を追いかける雌猫は跡を絶たなかった。猫のみならず人間の女の子からもファンレターが届くほど。マスター夫妻は「映画館」の看板猫として、彼に絶体的な信頼を寄せていた。飼い猫というよりは、同志、という感覚に近かったのではないだろうか。
そんな「オイくん」の噂を聞き、ぜひ会いたいとHPをチェックしてみると、残念なことに亡くなったあとだった。しかし、マスターへの電話で彼の忘れ形見が店内にいることを知った。それが、今回取材をした「虎太郎くん」である。
「伝説の猫」の息子である。わたしたちの期待は否が応にも高まったのだが・・・。店に着いて、まずマスターに挨拶。虎太郎くんを紹介してもらう。すると、「ニャ〜!ニャニャーン!!」思いっきり怖がられた。かなりおびえた様子で、「こっち来るな!(想像)」と叫んでいる。マスターがいくらなだめても、奥へ逃げようとして泣きっぱなしだ。
マスターが味方でないことを悟ると、今度は「外へ出せ!」と猛烈なアピールが始まった。猫好きとしては、イヤがられたこともショックだが、それよりも怖いと泣く虎太郎くんがかわいそうでとても困った。カメラマンの鈴木氏が遅れていることもあって、先にマスターにインタビューをすることにした。そのあいだに落ち着いてくれるといいのだが。
取材が一段落したところで、鈴木氏が到着。カメラを見るなり、また泣きながら逃げようとする。
そこに、奥さんが現れた。虎太郎くんは、今度は大好きな奥さんに助けを求める。マスター夫妻がなだめているうちに、慣れてきたのかだんだんとおとなしくなってきた。クッションをひいたお気に入りの椅子の上で、甘えた表情を見せてくれる虎太郎くん。クリッとしたお目目がなんとも愛らしい。
すかさずシャッターを切る鈴木氏。お父さんのようなキリッとした雰囲気は無いが、端整な顔立ちに潤みがちの目と可愛らしい声で、お客さんの心を鷲掴みにしているのだろう。マスター夫妻を親だと思っているかのような甘えぶりも、愛しくてたまらない。父譲りの頭の良さが、虎太郎くんの様子から見て取れた。でも、今ここにいるのは「虎太郎くん」だ。「伝説の猫」ではない。親子だけれど、同じキャラを期待されてはたまったものじゃない。
自分は自分、マスターと奥さんを大好きな気持ちはお父さんに負けないよ。と彼が言っているかのように思えてきた。そうだね。ごめんね。虎太郎くんに会いに来たのにね。
考えを改めてからは、不思議なことに、すんなり撮影に応じてくれるようになった。外に出てからも、カメラを向けると立ち止まったり、こっちを見たり。本当に可愛らしい写真が撮れたと思う。
以前も書いたが、猫はしゃべらない代わりに、こちらの気持ちを読み取る力があると思う。そして、お互いの気持ちが通じたときに、心を開いてくれるのだろう。気持ちは、言葉と違って嘘がつけない。猫と対峙するときはいつだって真剣勝負なのだ。お父さんのような猫を期待して訪ねたわたしに、「キミに僕の何がわかるの?僕を知りたければ僕を見なきゃだめだよ」と伝えたかったのだろうか。だとすると、お父さん以上なのでは?
「人の気持ちを揺さぶる猫」として、これからもマスター夫妻をはじめ、お客さんたちの心に寄り添って、伝説を作っていくに違いない。こんな期待も彼にはうっとうしいだけかも知れないけど。
JAZZ喫茶「映画館」 場所 東京都文京区白山5-33-19 TEL:03-3811-8932