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2008年11月30日(日) 00時00分

再生へ模索 可部線部分廃止中国新聞

 JR可部線のうち可部駅(広島市安佐北区)から三段峡駅(広島県安芸太田町)までの46.2キロが廃止されて30日で5年。中山間地と都市をつないだ鉄路の消失は過疎と高齢化に悩む地域に観光客減や人口流出、商店街の衰退などの連鎖をもたらした。「可部線の存在の大きさをあらためて感じる」と旧沿線の住民は口をそろえる。

 広島県を代表する観光地の玄関口だったかつての三段峡駅。駅舎やホームは取り壊され、交流施設や駐車場に姿を変えた。鉄路の一部と廃止後にモニュメントとして設置された「駅案内板」が残る。

 最終年の2003年。廃止を惜しむ乗客も増え、三段峡の観光客は27万人を超えた。大量輸送手段を失った翌年から激減。昨年は約12万人にとどまった。町観光交流課は「団体客が大幅に落ち込み、滞在時間も短い」と分析する。

 旧沿線の戸河内、加計、筒賀の3町村が合併して安芸太田町が誕生したのは廃止翌年の2004年。ところが合併は過疎化の歯止めにはならず、人口減を続けた。ある町職員は「合併の負の側面と、可部線廃止のダブルパンチ」と顔を曇らせた。廃止された21駅のうち13駅が新町のエリアにあった。

 通勤で可部線を利用する住民が多かった旧加計町では、5年間で1割以上も人口が減ったところもある。9月に発表された地価調査では、駅に近かった旧加計町役場前の下落率は、15%と県内最大。列車通学が主流だった加計高校の志願者数も減少している。

 三段峡近くの住民や観光業者は今春、「元気な三段峡を地域で復活させる会」を発足させた。「可部線におんぶにだっこだった自分たちも変わっていかないと」。野菜市開催や旧駅前の空き店舗の活用などの試みに乗りだした。廃止前の可部線存続運動をきっかけに旧沿線地域と都市住民との交流は一部で続く。そのことも支えに、地域再生への模索は始まっている。

【写真説明】人通りもなく閑散とした三段峡の正面口。元駅長の庄野将憲さんは、鉄路があった時代のにぎわいに思いをはせた(広島県安芸太田町)

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200811300033.html