江戸時代の狩野派を代表する絵師、
探幽の絵については、江戸城にあったことは知られていたが、後に焼失したとみられ、どのような図柄であるかなどは分かっていなかった。研究者らは江戸時代の狩野派の活動を知る上で一級の資料と評価している。
実在した二枚のびょうぶ絵(それぞれ縦百七十六センチ、横三百六十センチ)を模写したもので、樹木が生い茂った野原に群れる多数の野馬が躍動する様子が大きな和紙いっぱいに描かれている。
和紙の端の余白には(1)探幽が六十五歳の時に描き、江戸城本丸に置かれた(2)十八世紀に活躍した狩野派の絵師、
余白には同様に探幽の落款も写されていた上、背景の岩や樹木の描き方が探幽の他作品と同じであることから探幽の作品の模写と判断された。幕末から明治時代にかけ海外に流出したとみられる。
アジア美術館はギリシャの故マノス元オーストリア大使らがパリなどのオークションで集め、寄贈した日本の美術・工芸コレクション約六千二百点を所蔵。同美術館はこれらのうち、学術調査団により真筆と確認されたびょうぶ絵、浮世絵など約六十点について順次、一般公開する。
河合名誉教授は「アジア美術館の作品は、多くがどのような価値があるか分からないまま事実上封印されていた。世界でまったく知られていない作品もあり、高く評価できる」と話している。(コルフ島、共同=太田清)
【写真説明】ギリシャ北西部コルフ島のアジア美術館で見つかった、狩野探幽が描いたびょうぶ絵「野馬図」の模写の一部(共同)