2008年10月27日(月) 23時45分
米バンダービルト大・日米研究協力センター20周年パーティー(産経新聞)
安全保障を学ぶため日本から米国へ派遣された人数は海上自衛隊や経済産業省、警察庁など中心に、政界、学会、マスコミなども含めて計90人に上る。そのメンバーらが手弁当でかつての学舎、米バンダービルト大(テネシー州)日米研究協力センターの20周年パーティーを企画し、都内で開いた。
同センターの所長として指導にあたってきたジム・アワー教授(67)の来日に合わせ参集した教え子らは、成長した子供や結婚相手を伴って近況を報告、恩師夫妻は相好を崩して再会を喜んだ。
アワー教授は、アーミテージ元国務副長官にして「日本問題についての私のセンセイ」と言わしめる保守派の知日家。1963年の佐世保での掃海艇勤務をきっかけに、ライシャワー元駐日大使の教べんを受け、中曽根康弘防衛庁長官(当時)ら200人へ取材し、戦後日本の海上戦力をまとめて博士号を取得した。
71年に在日海軍司令官の初代政治顧問に任命されると、米政府が不可能とみていた米空母ミッドウェーの横須賀港配備(73年)について、日本に受け入れ意向があることを突き止め、当時の船田中・衆院議長を通じて田中角栄首相の決断を引き出した。
大学からの誘いもあり、日本部長も務めた米国防総省を88年に退官。数年のつもりで立ち上げた研究所は、日米防衛協力関係が91年の湾岸戦争で変化する中、両国防衛産業の架け橋となる会議を毎年主催するなど、日米同盟の重要性を主張し続ける役目を負ってきた。
そんな陰の立役者に安保政策を学ぼうとした日本の政・官・マスコミの面々。講義やディスカッションの傍ら、彼らが見たのは日本、米国、韓国から養子に迎えた2男1女らの家族に愛情を注ぎ込む師の姿だった。平和とは、愛する家族を守ること。卒業生の一人、民主党の長島昭久衆院議員が「今後もセンターを発展させよう」と呼びかけると、パーティー会場からは拍手が巻き上がった。(吉村英輝)
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