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2008年10月23日(木) 18時48分

新薬師寺の金堂跡見つかる 奈良、東大寺に次ぐ規模中国新聞

 奈良市高畑町の奈良教育大敷地内で、八世紀半ばごろの大型建物の基壇跡が見つかり、二十三日、同教育大が発表した。付近の新薬師寺旧境内にあった金堂(七仏薬師堂)跡とみられ、奈良時代では東大寺大仏殿に次ぐ規模という。

 新薬師寺は光明皇后が夫の聖武天皇の病気平癒を祈って建て、東大寺と並ぶほどの隆盛を誇ったとされるが、創建当初の建物はほとんどなく、謎に包まれた伽藍がらん配置を解明する上で第一級の史料。

 奈良教育大によると、基壇を飾る板状の石が列になって出土。建物跡は東西約五十四メートル、南北約二十七メートルと推定。東大寺大仏殿は東西が約八十五メートルあったとされる。

 八世紀後半の絵図には「新薬師寺堂」が描かれ、十二世紀初めの文献にも新薬師寺に仏像七体を安置したとの記述がある。

 現在の新薬師寺で最古とされる本堂は奈良時代後半から平安時代初期の創建とみられ、伐折羅ばさら大将(国宝)などの十二神将立像は天平彫刻の代表作として知られる。

【写真説明】<左>奈良時代の東大寺の領内を示した正倉院御物の「東大寺山堺四至図」。中央左上に大仏殿が描かれ、左下に新薬師寺堂が描かれている
<右>「東大寺山堺四至図」に描かれた新薬師寺堂(ともに奈良国立博物館発行の平成6年正倉院図録より)

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200810230323.html