2008年10月23日(木) 11時02分
“いじめ”で娘の心が壊れる前に(Oh! MyLife)
私の娘は、今、インターナショナルスクールに通っている。授業料は月3万円。それに時々1万円がプラスされる。インターナショナルスクールとしては破格の値段だ。しかも少数制で、講師のほとんどはアメリカ人のクリスチャン。こんな好条件の学校なんて、そうあるものじゃない。
この学校は、もともと知り合いだった教会が始めたもので、その意味でもラッキーだったといえる。その教会には娘の友達もいて、その子もその学校の生徒だから、娘も楽しく学校に行っている。
なぜ、インターナショナルスクールに行かせることになったのか。いくら、月謝が安くても、普通の公立学校に行かせるほうが経済的に見れば、絶対有利だ。経済面だけを見ればね。
実際、一般の公立学校に通わせたことはある。2年次までは、さほど問題もなかったが、3年生になってから、娘はいじめを受けるようになった。
特別学級にうつしてもらったら、その学級にいたほかの男子がいじめてきた。彼は発達障害があり、この特別学級にいるそうだが、親の言うことも先生の言うことも聞かない。怒っているそばで、いじめをするような子だった。発達障害だからいけないというつもりはないまったくないが、いじめが原因で学校に恐怖を感じている子供を、そういう環境に置く、学校側の対応の無神経さには驚いた。
確かに、私の娘は母親が韓国人だからということもあるのか、普通の日本の小学生とは多少テンションが違うようで、目立つし、同年代のこと子と比べて幼い。それが原因かどうかは分からないけど、男子生徒からは暴力を、女子生徒からも無視されるなどのいじめを受けた。
友達はいたが、味方をしてくれるほどではなく、学校に行きたくないと言い始めた。学校側にそのことを報告したら、調べてみるとは言われたが、具体的に動いた形跡はない。いじめは収まらなかった。
一番ひどい子供には、その親にも注意を促したが、聞く耳がないのか、その子供は結局また、いじめを始める始末。ほかの親では平謝りしてくる人もいた。
そのうち、朝になると、頭痛や腹痛を訴えるようになり、手足が震えるまでなった。
あざでも、できるほどなら、警察にでも通報しようかとさえ思ったが、警察は学校のイジメでは動いてくれない。証拠でもなければ、警察は介入を拒む。
教育委員会に連絡もした。調べてみると言ったが、後日の電話でいじめの事実はないと返答された。
もう限界だと思った。娘を学校に行かせないことにし、ホームスクーリングをはじめた。
広島から千葉に引っ越して、場所が違えば大丈夫だろうと、もう一度、娘を学校に送った。数週間は、大丈夫だったし、友達もすぐにできたが、ここでもまた、いじめがはじまった。それでも初めのうちは、ひどいというほどではなかったので、先生に注意していてもらうように言うだけにとどめた。
しかし、半年もすると、やはり娘は学校に行けなくなった。前回のことがトラウマにもなっていたのだろう。先生の方から子供の親にも注意を促して欲しいとお願いしたが、いじめに一番深くかかわっていた子供の親は、町の有力者の孫だった。それが理由で、強く言えないらし。ここでも教育委員会は、なかったことにした。
学校を休ませることにした。
千葉から茨城に引っ越した。ここでなら大丈夫だろう。学校に行かせた。ここも初めはうまくいった。友達もできた。しかし、やがてまた、いじめがはじまった。
先生に注意してもらうように言い、親にもお願いし、教頭や校長にもお願いした。教育委員会にも。
後日、担任の先生が家に来て、いじめの事実はないと言い張った。いじめたという当人に聞いたら、
「いじめていないと言った」
と言うのだ。そして、
「私は私の生徒を信じる!」
と逆切れまでされた……。
仕事の事務所が移転になって東京に移ったとき、役場の人と相談したが、確信できる話はなかった。どうにか、学校にやらないわけにはいかないし、さりとて、行かせられる学校がない。
そんな折に、インターナショナルスクールの話が出てきた。学費のかかることは気になったし、そこでも同じことになるかもしれないという不安があったが、もうかけてみるしかなかった。
そんな経緯で、娘をインターナショナルスクールに送っている。余裕があるからじゃない。
なぜ、子供を戦わせなかった? という方がいるだろう。同じようにいじめられたが、がんばったという人もいるだろう。戦っていじめを克服したという人もいることを知っている。
私も、小学校ではいじめられたが、6年間耐えた。でも、すべての人にそれができると、いえるだろうか? 痛みの度合いは個人差があるものだ。自分に耐えられることが必ずしもほかの人に耐えられるとは限らない。
我慢するだけ我慢し、交渉できるところを交渉しての結果だ。それを、努力が足りない。もっと戦うべきだ! という方がいる。つまり壊れるまでやれ。と言うことか?
いつでもそうだ。「やる気がない」「がんばってない」「やればできる」、そんなことを言う人たちが、壊れているのを見て初めて、「言ってくれれば良かったのに」という。心が壊れたら、その修復は並大抵じゃない。
娘はとても明るい子だ。人前に出ることが好きだし、ダンスや、お芝居をするのも大好きだ。友達も大好きだし、一度親友だと思ったら、もう2度と会えなくても、親友だと思う子だ。
その娘の心が壊れそうなのに、それでもなお、その場で戦えというのか? だから、今、インターナショナルスクールに行かせている。私は、甘えているのだろうか?
(記者:城戸 相凰)
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