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2008年10月19日(日) 14時53分

【轟悠の素顔】月組で厳しくも楽しい日々産経新聞

 宝塚音楽学校の卒業生は毎年3月、宝塚大劇場(宝塚市)で行われる公演のフィナーレに出演し、晴れてタカラジェンヌの仲間入りを果たすことになる。轟も昭和60年3月、花組公演で舞台デビューを飾った。

 電飾がきらめく26段の大階段を使った歌やダンス。出演者たちは背中に羽根を背負い、「シャンシャン」と呼ばれる鳴り物入りの道具を手にして階段を降り、観客にあいさつする。

 その舞台で、轟は46人の同期生とラインダンスを踊った。5分程度だが、足を懸命に振り上げるため、終盤には息が切れた。だが、踊り終え、会場から拍手が起こると、感動を覚えた。しかも同期全員が同じ舞台に立つのは初舞台が最初で最後。轟は、舞台袖で仲間と手を取り合って喜んだ。

 《歌劇団に入っても身分は生徒のままで変わらず、歌やダンスのレッスンはもちろん、配役を決める際の参考となる試験もある。1年目は研究科1年(研1)と呼ばれ、その後も研2、研3と学年は続く》

 5月、中学生時代に憧(あこが)れていた大地真央が所属した月組に、轟は配属された。過酷な競争社会だが、約80人の同じ組のメンバーとの仲間意識は強く、それゆえにエピソードにも事欠かない。

 例えば、研1の時、初めて「オケ合わせ」という言葉を聞いた。オーケストラの音楽と合わせながらする稽古(けいこ)のことだが、轟は意味が分からず、同期と上級生に尋ねた。「お風呂の桶(おけ)を持ってきてお互いに合わせることなのよ」。すぐにウソだと分かったものの、中には信じる生徒もいて、数日後の稽古には桶を持ち込み、笑いを誘った。

 仲間だからこそ許される悪ふざけやいたずらだが、轟も上級生からその都度怒られながら、楽屋で娘役の出演者の留守中に楽屋着の裾(すそ)やスリッパを糸で縫い合わせたり、舞台袖から変な顔や動作をして出演者を笑わせようとしたりした。

 「今でこそ笑わせることは禁止されていますが、おかげで、舞台上で何が起きても冷静でいられるようになりました」

 数あるエピソードの中でも、研2時代に舞台に遅刻しそうになった失敗談は忘れられない出来事だ。

 同期の電話で目覚めると、開演30分前。慌ててタクシーを呼び、10分前に楽屋に到着。出演者やスタッフ総出で着替えや化粧を手伝ってくれたが、化粧が間に合わない。仕方なく、ドーランを塗った程度の薄化粧で舞台に上がった。

 その後は、舞台袖に下がっては化粧を塗り重ね、アイラインを入れ、まゆ毛を整え…。結局、化粧が完成したのは終演間際だった。

 「当日は時間的な余裕もなく、誰にも怒られずに済みました。今では笑い話になっています」

(敬称略)

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