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2008年10月12日(日) 00時15分

「疑惑の銃弾」 闇へ 元社長、強気と不安交錯中国新聞

 発生から約二十七年が過ぎた米ロサンゼルス銃撃事件は、日本で無罪確定後に米司法当局に逮捕された三浦和義元社長(61)の自殺という衝撃の幕切れを迎えた。「裁判でけりをつける」「必ず勝つ」。毅然(きぜん)とした表情でロスに到着した元社長は、留置場の独房で迎えた最初の夜に自ら命を絶った。日米の関係者を巻き込み異例の展開をたどった「疑惑の銃弾」事件は多くの謎を残したまま、永遠の闇に葬られた。

 「カリフォルニアに行くときだ。裁判で勝つ」。旅行先の米自治領サイパンで今年二月、殺人容疑などで突然、米司法当局に逮捕された元社長は、逮捕状の有効性を争い七カ月の拘置所生活を送ったが、動じぬ態度を貫いた。

 ▽無実証明誓う

 九月末に殺人の共謀容疑での逮捕状が有効と判断され、ロスでの本格的な裁判開始が決定的になった際も、担当弁護士に裁判で無実を証明すると語った。日本にいる家族にも「ロスで会おう」と伝えている。

 だが日本の裁判で主任弁護人を務めた弘中惇一郎弁護士には「そうは言っても(気を)落としますよ」と語り、将来への不安も漏らしていた。

 独房内で見回りのすきをつき、自分のTシャツで首つりをする十二時間ほど前の十日午前十時ごろには、面会した在ロサンゼルス日本総領事館の領事から「留置場内で読書はできない。備え付けの電話で国際電話もできない」と説明を受けた。

 ロス市警庁舎の一室。長期の未解決事件(コールド・ケース)を扱う捜査班のホワイトボードには「行方不明者」として白石千鶴子さん変死事件が記されていた。

 ▽市警の隠し球

 三浦元社長の交際相手だった白石さんは一九七九年三月に渡米し、その後失踪(しっそう)。同年五月にロス郊外で変死体で発見され、白石さんと断定されたのは八四年三月だった。捜査関係者らの間では、一連の疑惑の原点とされていた。

 元社長が逮捕後に拘置されていたサイパンでは、複数の自治領当局者が「(元社長の妻だった)一美さん=当時(28)=銃撃事件で米国でも無罪となったとしても、千鶴子さんの事件の捜査が進む可能性がある」と話していた。

 「二十年間、ある人物を逮捕するために待ったんだ」。三浦元社長のサイパンからの移送を終えたロス市警のジャクソン捜査官は十日、市警本部での記者会見で、率直に充足感を明かした。

 だが捜査当局が目指した“真相解明”は果たせぬまま。ロスの検察関係者は「こんな形で事件が終わってはならないはずだ。法廷で結論が下されるべきだった。ショックだ」と言葉を絞りだした。

 ▽有罪可能性悟ったか

 藤本哲也中央大教授(犯罪学)の話 あれだけ「ロサンゼルスで闘う」と言っていたので自殺とは驚きだ。マスコミ相手の訴訟を繰り返し日本の法律には詳しかったが、日本にはない共謀罪という概念は理解していなかったのではないか。共謀罪は比較的、簡単に立証できる。ロス市警の尋問で知らない事実を突きつけられ、有罪になる可能性があることを悟ったのかもしれない。サイパンと比べて、ロスでの待遇にショックを受けたのだろうか。吹っ切れないものが残る。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200810120074.html