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2008年09月20日(土) 15時45分

【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語 20. 記者会見の評判は悪くなかったJ-CASTニュース

 7月29日、対外的な活動の第一歩として、記者会見を開いた。その情景はほとんど覚えていない。ただ、翌日の朝刊に、はじめて社名の入った記事が掲載され、テレビでもADSLの名が全国ネットで放送されたのを見て、いよいよ始まったと覚悟を決めた。

 その時点で、東京めたりっく通信(以後TMCと略記)は対外的に何を主張したのか、整理しておこう。なにしろ、物語はやっとここから、この会社が主人公となって進行する段階に入るからだ。

 (1)通信事業者としてNTT東日本(以後NTT東と略記)に同社の加入者回線、MDF、電話局内空間などの通信手段を利用するために相互接続の申し込みをしている。

 (2)その目的は、DSL通信によるインターネットへのアクセスサービスを「高速」「安価」「常時接続(つなぎっ放し)」で提供するためである。

 (3)NTT東は、商用サービスは制度面、技術面で直ちに認められないとした。また、自ら計画している「商用試験サービス」ならば可能性はあるが、これも何時可能となるか、日時は不明、参加も約束できないと言っている。

 (4)TMCは当面、この「商用試験サービス」正式参加者としての地位を獲得するため、全力を尽くすので、各方面のご支援をお願いしたい。

 (5)TMCの事業的性格は、米国のCLEC型の日本第1号である。通信設備所有者の設備を開放させ(アンバンドル)、新しい通信サービスの需要を開拓するパイオニアである。リスクマネーの調達意欲はやぶさかではない。

 こうした主張に世論およびインターネット関係者の反響は予想以上に好意的であった。技術的不信感はほとんど持たれなかった。伊那実験の経験が高く評価されていたのである。しかし、財務的体力への不安や不信は、最初からつきまとった。NTTを相手に競争できるのか、果たして経営できるのか、という意外感もあったのだろう。

 何にせよ、「見たこともない変なのが出てきた」という特別な印象をもって迎えられたようである。

 そしてこの1年半後に、財務体力への不安や不信は現実のものとなる。「トップ引き」は、結局最後まで、もたなかったのだ。

 しかしながら、日本の情報通信業界地図を塗り替える今日まで続く「通信戦争」の激動は、1999年のTMCの決起によって幕が開けられたのは紛れもない事実だ。TMCが開墾した土壌は、やがて大きな実りをもたらした。

【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年〜2003年)
鷹野晃
写真家高橋?氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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