房総半島の海岸近く。森に隠れていた真っ赤なハサミのアカテガニたちが、アスファルトの道路に集まった。大潮の夕暮れ時。数匹が海を目指して行進を始めた。
甲羅が数センチのこのカニはふだん、森や湿地で生活する。成熟したメスは7月から9月初めの大潮の時期、1ミリほどのゾエア幼生と呼ばれる子ども数万匹をおなかに抱えて海に向かう。海にたどり着くと体を水につけてブルブル震わせ、幼生たちを一斉に海に放つ。
「カニの数は、昔はこんなもんじゃなかったよ。道路や庭を埋め尽くしたんだ」。千葉県富津市で暮らす棚倉晴夫さん(72)は、昭和30年代の光景を懐かしんだ。当時、海岸道を自転車通勤していて、たくさんのカニをひいてしまったという。
カニが減り始めたのは昭和40年を過ぎたころ。海岸は埋め立てられ、道路も拡張舗装され、今ではコンクリートの護岸が当たり前になった。「昔の美しかった海岸はどこにもない」。棚倉さんは嘆く。
アカガニッチョ、アカンペチョ、ボンガニ——。地元で地域によってさまざまな愛称で親しまれてきたアカテガニ。その姿は、いつか消え去ってしまうのだろうか。
(文・ネイチャーズ・プラネット代表 藤原幸一、写真・佐々木紀明)