2008年08月26日(火) 11時58分
五輪メダル数から考えた、日本人1人ひとりの課題(オーマイニュース)
北京五輪のメダル獲得数は、韓国が、金13で、合計31。それに対して日本は、金9、計25です。人口、経済力とも3分の1くらいの韓国に完敗で、その象徴が野球でした。野球は韓国が金、日本がメダルなしの4位です。それ自体は嘆かわしいことです。
しかし私は、東西が統合される以前、ドイツにいた時のことを思い出します。
当時は社会主義国であった東ドイツが、西ドイツをメダル数で圧倒していました。西ドイツにいた私は、ある西ドイツ人に言いました。
「人口も多いし経済力も圧倒しているのに、こんなメダル数に違いが出て、悔しくないのか」
するとその人曰く、「あちらは国を挙げて頑張っている。メダルを取ったら生活が保障される。こちらではそんなことは無い。自分が好きで競技に参加しているだけだ。メダルを取っても、良かったね、でおしまいだ。私は、こちらの国の方がいいね」
なるほどね、と思いました。
現在の韓国と日本の違いも、幾分かは、同様なことが反映されていると思えます。北朝鮮とは体制が違うので、韓国が当時の東ドイツのようだとは全く言えません。しかし韓国の躍進の影には、ナショナリズムの大いなる高揚が考えられます。
そして、そのうちのかなりの部分が、日本に追いつき追い越せという姿勢にあると思います。
若い人たちはご存知ないかも知れませんが、第2次大戦以前の35年間は、日本が韓国を植民地化していたのです。
韓国が戦後、支配から開放されてからというものは、韓国の潜在的、顕在的モットーは“日本に追いつき追い越せ”だったはずです。(たとえば朝鮮日報の8月17日のコラム、「「難攻不落」日本の壁を突破せよ」を参照。世界市場で売れる自動車などが、日本市場で売れない、対日赤字構造が定着化していることに言及しています)
それは日本が、明治維新以来“西洋に追いつき追い越せ”をモットーにしていたのと、同様だと思われます。
そして、日本は第2次大戦までは、主として欧州各国、戦後は米国にその範を求めたのです。そしてその目標を達成してしまったのが、1980年代後半です。国民1人当たりの所得が世界最高になってしまったのです。その後、日本はバブルがはじけ、日本は長期停滞に入ります。その時以来、国民は一般人から首相まで、目標喪失の状態にあります。それは一言で言うと、成熟国家です。
韓国は日本の経済成長の後期の時代にあたる、つまり20年遅れくらいでしょうか。ちなみに、中国は日本の1960年代ごろに当たり、日本から40年遅れで突っ走っています。年齢で言えば、日本が60歳、韓国40歳、中国20歳といったところでしょう。
問題は私たち日本人のことです。
国家を挙げての目標設定の時代は20年前に終わりました。今は個人志向の時代に入っています。とにかく、かくあるべきだ、という生き方が、言わば半強制的に行われていた時代が終わったのです。
例えば、ついこの間まで“適齢期”などという概念が支配していました。女性は25歳までが賞味期限で、それ以降は、ガタンと値段が下がるなどと平気で言われていたものです。そして女性は、それまでに何とかしようと焦っていたものです。今では、“自分に相応しい人が現れた時が適齢期だ”という風に変わったのではないでしょうか。
ある意味では、昔の方が、生きやすい時代でした。個人個人は、みな同じような価値観で生きていたので、まわりの人がやるようにやっていれば済んだ時代です。
それが、急に何でも自分の自由に好きにしなさいと言われたようなものです。たいていの人はどうして良いかわからないものです。はっきりした目標が無いからです。日本では、首相も野党も漂流を続けています。
私たち日本人は、自分で自分の人生を切り開いていかなければならない時代に入っています。
従来までは外を見て、まわりの日本人や、見本とすべき先進国のみなさんを見て真似をしていれば済んだ時代でした。
言わば、メダルだけを目標に頑張れば良かった時代です。
現在は、自分の内部を見つめて、自分なりの人生の意義と目標を考えなければいけない、時代に入っています。
それは、選択肢が多く、恵まれている時代でもありますが、他面で苦しい時代でもあるのです。
(記者:鈴木 憲也)
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