2008年08月22日(金) 11時19分
神様、仏様、上野様(ツカサネット新聞)
ロンドン五輪では競技が行われないことが決定しているソフトボール日本代表が、遂に悲願の金メダルを獲得した。
試合中も、試合後の様子も実に感動的な光景だったが、特に、2日間で3試合・400球を超える球数を投じた、上野由岐子投手には胸を熱くした方が多かったに違いない。
そんな、獅子奮迅の投球を見せながらも、人はなぜ高校野球に惹かれるのか、という命題における1つのアンサーでもある、刹那的な空気までをも孕んだ上野投手を見ていて、筆者の頭に浮かんだのが、「鉄腕」と呼ばれた故稲尾和久氏だ。
稲尾氏を伝説の投手たらしめた有名なエピソードといえば、やはり1958年の読売ジャイアンツと争った日本シリーズでの活躍ぶりだろう。
後楽園球場での第1戦を先発稲尾で落とした西鉄は続く第2戦も敗戦。平和台球場に移動しての第3戦も、稲尾が先発し奮闘したものの、0-1で破れ、読売が見事に3連勝を決める。
この翌々日から伝説が始まる。翌日が降雨中止となって迎えた第4戦、西鉄の三原脩監督は、すでにここまで2試合に先発していた稲尾をまたもスタメンに抜擢し、4失点を喫したものの、見事完投勝利を収める。
続く第5戦、西鉄の先発は西村貞朗。しかし西村は、先頭打者の広岡にデッドボールを与えると、続く坂崎に二塁打、そして3番の与那嶺にホームランを浴びてしまい、ワンアウトも取れないままに降板、西鉄にあまりにも重い3点のビハインドがのしかかった。代わって登板した島原は3回を無失点に抑えるが、3回の裏に代打を送られて降板。しかし、その回も代打城戸を含めて西鉄は三者凡退に終わる。
そして4回の表にマウンドに送られたのが、前日完投勝利を収めた稲尾だった。稲尾はマウンドに立ってから、フォアボールを一個与えただけでヒットを許さない快投を見せる。そんな稲尾に打線が応えたのが7回の裏。中西のホームランで西鉄は1点差に迫り、さらに土壇場の9回裏2アウトに、関口のタイムリーヒットで同点に追いつく。稲尾は10回の表もそのままマウンドに上がり、迎えた10回の裏の打席で、日本シリーズ史上初となるサヨナラホームランを放って劇的な勝利を収めた。稲尾は4回から10回の表まで、被安打・与四死球共に僅か1という熱投だった。
そして舞台を後楽園に戻した第6戦と第7戦で、稲尾は2試合連続の完投、喫した失点は第7戦最終回の長嶋のホームランによる1点のみという完璧な投球を披露、かくして、7戦のうち6戦に登板し、うち5試合に先発し4完投という形で稲尾の伝説は幕を閉じた。
今日でも稲尾氏を語る際に必ず登場する枕詞である「神様、仏様、稲尾様」は、西鉄の大逆転優勝を報じた新聞の見出しであったのだ。
ソフトボール日本代表の快挙に酔いしれて迎えた本日の朝、筆者はまだ新聞の類を目にしていないのだが、「神様、仏様、上野様」の見出しが踊っている新聞があるように思えてならないし、実際に伝説の鉄腕稲尾に並び称されるような快投を上野が見せたことは間違いない。
当時のプロ野球事情や、ソフトボールにおいては連投自体は然して珍しいことでもなかったことを差し引いても、これほどまでに心揺さぶられるピッチングは久しく出会ったことがない。願わくは、野球日本代表にもこのような試合を見せていただきたいものだと思う。
そして、改めて、ソフトボール日本代表の皆さん、お疲れ様でした。ありがとう。
(記者:ハセガワ)
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