2008年08月21日(木) 16時05分
文学界のジェロ!芥川賞作家:楊逸(ヤン・イー)氏の選考に思う(ツカサネット新聞)
日本を代表する文学賞、芥川賞に日本語作品を書く中国人作家、楊逸(ヤン・イー)氏が受賞した。
マスコミは「初もの」に弱いので、例年の芥川賞受賞以上の紙面を割いて、楊氏受賞を報じた。
そして、今月10日に月刊文芸春秋が発売され、受賞全文が掲載されたので一読してみた。
読後の印象は「飽きずに最後まで読めたけど、中国小説の日本語訳だったら、手に取ることはまずないな」というのが率直な感想だった。
元々、芥川賞は、新人純文学作家の登竜門だったが最近では、凋落が激しく、受賞作家がその後も活躍し続ける例は少ない。ところで、受賞作が掲載された文芸春秋を読んでいて、「あれっ」と意外に思うことがあった。その号には、受賞作と並んで選考委員の選評が載っているのだが多くの選考委員が楊氏受賞に否定的なのだ。
◆まず、中国嫌いで知られる石原慎太郎氏は「単なる風俗小説の域を出ていない。書き手がただ中国人だということだけでは文学的評価には繋がるまい」としている。
◆また、村上龍氏は「『時が滲む朝』の受賞にわたしは賛成しなかった」とはっきり書いている。さらに「外国人作家の受賞は確かに画期的なことだ。だが、当然のことだがそういったことは作品としての評価には関係がない」とまで書いている。
◆川上弘美氏は、「受賞をとても嬉しく思います」としながらも別の作品を受賞作として推したことを明かしている。
◆宮本輝氏は「どうにも違和感をぬぐえない日本語と併せて私は受賞に賛成できなかった」としている。
◆最後に山田詠美氏は「リーダブルな価値はどちらかと言えば直木賞向きかと思う」と述べる。受賞に否定的でないほかの選考委員も「今回はレベルが低かった」など候補作全体に否定的だったり、要するに手放しの礼賛は、一人もいなかった。9人しかいない選考委員のうち5人がこれだけ否定的なコメントを寄せているのに楊氏受賞が決まったのはなぜなのか、主催者が選考過程を明らかにすべきだろう。
あえて穿った見方をすれば、楊氏には申し訳ないが「キワモノでしか、賞の話題をつなげなくなった」ということではないか。思えば、2003年には、金原ひとみ氏と綿矢りさ氏が史上最年少の受賞で、芥川賞が例年にない話題となり、文芸春秋の掲載号は異例の重版で100万部を売り上げたという。そして、文芸春秋は、あの盛り上がりが忘れられず、次の「史上初」を探していたのだろう。
それは例えて言えば、文学界にも演歌界で活躍するジェロが欲しくなったということだ。
ジェロ氏にも申し訳ないが彼の演歌は、あくまで「外国人なのに、よく歌えている」というレベルであって、風貌と併せて、過度に持ち上げられているに過ぎない。ただ、演歌界の活性化と話題の提供には大いに貢献している。楊氏は文学界のジェロに過ぎない。
猪瀬直樹氏が著書で書いているが権威ある芥川賞も元を辿れば、菊池寛が文芸春秋の部数拡大を狙った「定期興行」に過ぎなかった。しかし、最近は、芥川賞の権威も地に落ち、本屋の店員が選考する本屋大賞の方が一般市民の感覚と近く、受賞作は受け入れられている。
プロの目が素人に受け入れられず、その後の受賞作家の成長を見てもプロの目に疑いがかけられているのだ。文芸春秋は、芥川賞の権威維持、発展を望むのであれば、一時的な麻薬的な効果しか持たない「初物狙い」をやめて、真に骨太な人間存在を問うテーマを掲げた作家を発掘する気概を持って、選考に取り組み、選考方法も見直すべきだろう。
(記者:草莽メディア)
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