記事登録
2008年08月20日(水) 15時01分

金メダル 誰のために頑張るのかツカサネット新聞

東西冷戦の時代には、金メダルを獲得するということは、東側の共産主義陣営と西側の自由主義陣営の国の威信をかけたスポーツ戦争とも言えるものだった。当然のことながら、金メダルは国家のためのものだ。

入場行進についても、東京オリンピックの記録映画を見ると、一糸乱れぬ、まさに「行進」だった。これが、いつの頃からか、自由気ままな入場行進に変わった。

今回の北京オリンピック柔道男子66キロ級で、内柴正人選手が金メダルを獲得した。金メダルが決まった瞬間に、観客席に向かって息子の名前を呼んだ。
実力がありながら、国際大会で優勝することができず、息子から「チャンピオンなのに、どうして勝てないの」と言われていた。

内柴選手にとって金メダルは、どうしても息子に見せたいものだった。息子のために頑張った結果が金メダルとなった。国家のための金メダルから、愛する家族のための金メダルになり、平和の祭典にふさわしい気がする。

水泳の北島選手に代表されるように、金メダルを獲得した時のインタビューも、いまどきの若者らしい肩肘を張らないラフなものが多い。飾らない言葉が、より大きな喜びを表現している。

金メダルを誰のために頑張るのかと聞かれれば、愛する家族、愛する人のためのものだという返事が返ってくるはずだ。これが平和の祭典としてのオリンピックだと思う。



(記者:ニュースマン)

■関連記事
ニュースマン記者の書いた他の記事
「スポーツ・スポーツ全般」カテゴリー関連記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080820-00000002-tsuka-spo