2008年08月19日(火) 19時15分
サッカー女子「日本ー米国」が映さなかったもの(ツカサネット新聞)
サッカー女子「日本−米国」戦をテレビ観戦していて、開始ホイッスル直後から不思議に思っていたことがある。数百人規模と感じとれる音量での、規律の取れた掛け声と拍子のあった鳴り物の応援だ。しかもそれが日本ではなく米国の応援なのである。
そして、時にラインを割ったり、ファールをとられたり、コーナーキックを日本が行う場合のブーイング。恫喝にも似たこの応援が中国で行われているオリンピックの「日本−米国」で日本の選手に向けられているのだ。
時折見られる観客席からは一切この声の主と見られる姿は発見できない。アップになった選手越しに観客席を除き見てもそれらしき集団はいない。唯一映らない角度は、全体を映し出すカメラが据え置かれた側だ。たぶんこの米国サポーターはここに陣取って、米国よりもはるかに近い、中国の隣の国、日本を完全アウェイに置いてたのだ。
テレビ解説は一切応援のありさまを伝えない、普通ならこうアナウンスするだろう「アメリカの応援が熱を帯びています、選手を奮い立たせる声援が会場を埋め尽くしています」と。
やがて、この規律の取れた応援は熱をまし、本性をあらわし始めた。
「加油!」そう、このオリンピックの間、スポーツの祭典を自国礼賛の場に変えた、中国の掛け声「ジャーヨウ!」が聞こえはじめたのだ。
テレビ解説アナウンスが伝えなくとも、競技場の状況は汲み取ることができる。米国だから応援しているのではなく、日本の対戦相手だから応援しているのだ。
夏の高校野球が終わった。
各校の応援合戦は試合終了と同時にエール交換に変わる。
例えば、自分の出身県の代表が負ければ、地域の勝ち残っている高校を応援するだろう。そして負ければ、それらを負かして勝ち進んだ高校に是非優勝するまで頑張ってほしいと願うものだ。
オリンピック女子サッカーで日本は、中国との対戦に勝利し米国とのゲームを迎えていた。
本来なら中国は対戦後勝ち進んだ日本を、隣国としてそして同じアジアの代表として、応援をするのが普通ではないだろうか。もし、「日本—中国」戦で中国が勝っていたら、多くの日本人は、米国ではなく中国の応援に回っていただろう。ナショナリズムよりもスポーツマンシップを重視するなら当然の行動である。ましてホスト国なのである。
北京オリンピックで中国政府は、共産党の指導のもと組織され訓練された応援ボランティアが存在するという。そしてこの応援ボランティアが各競技場で陣取り、応援を行なう。
集団で大きな声で、観客も選手も飲み込んでしまうこの応援ボランティアは、中国の試合の応援ではなく、日本の対戦チームを応援しているという記事が各社新聞紙面で散見される。
選手達にとって4年に一度の集大成の場が、意味不明の観客応援によって、本来の自分を見失ってしまい残念な結果になることは、痛ましい限りだ。
それも自分の心の弱さだと彼らがもし反省するのなら、それを素直に口に出して言ってほしい。
「対戦相手とは関係ない、激しい応援ボランティアの勢いに自分の心の弱さが負けた」と。
あらかじめこのような偏った応援スタイルで選手を精神的に追い込むことが分かっていたのなら、JOCや各競技団体は猛省が必要だろう。
メダル争いを狙う競技においては、声も出ない強さを見せつけるのがもっともだが、そうはいかない訳だから、チクチク主催者に釘を刺し続ける圧力は当然行うべきだと思う。
もっとも、手の施しようがないのはテレビだろう。他の大会や前例を鑑み指摘するべきところは指摘しなければならない。そんなテレビが霞ヶ関は闇だと報道するのだから、テレビ画面から真実は映し出されないのだ。
(記者:竹山壽)
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