2008年08月18日(月) 11時56分
40年前の高校教科書地図帳を見る(オーマイニュース)
本を読んだり、テレビのニュースを見たりするとき、地名が出てくると、なるべく座右に置いた地図帳を広げるようにしている。位置を確認することによって、より興味が深まるし、地理の勉強にもなるからだ。
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さて、記者が座右に置いている地図帳は昭和41(1966)年発行、という年代物だ。
詳しく云うと、帝国書院編集部編の文部省検定済教科書『新詳高等地図 最新版』、昭和41年3月15日帝国書院発行、定価274円。
要するに高校の教科書地図帳だが、なぜかハードカバーのこの1冊が、幾度かの引越しにも耐え、今も残って重宝している。
さて、先ごろ文部科学省は、中学社会科の新学習指導要領の解説書にはじめて、「竹島」問題を取り上げることになった。北方領土のように「固有の領土」という表現を避けたにもかかわらず、韓国では駐日大使を一時帰国させるなど、大きなリアクションが起きた。
日本は、この竹島を含め、北方領土、尖閣諸島と、外国との間に3つの領土問題を抱えている。このうち、尖閣諸島は日本が実行支配しているが、北方領土はロシアに、竹島は韓国に不法占拠されている。
40余年前に使われていた教科書地図帳は、いったいこれらの領土を、どのように表示しているのだろうか。
まず、北方領土。これがなんと、択捉(エトロフ)以南の北方4島のみならず、占守(シュムシュ)島までの全千島列島を日本領土とし、その先のカムチャツカ半島との間に国境線を引いている。そもそも、日露戦争によって得た南樺太(サハリン)はともかくとして、全千島列島は、千島樺太交換条約(1875年)によって、平和裏に日本領土として確定したのだから、当然日本に主権がある、という考え方からであろう。
しかし現在の日本政府が、ロシアに対して正式に返還を請求している北方領土というのはあくまで、択捉島、国後(クナシリ)島、色丹(シコタン)島、及び歯舞(ハボマイ)諸島の、いわゆる北方4島である。
この4島は、日露間の最初の条約である日露和親条約(1855年)において、日本領として確定したものであり、固有の領土として返還請求するにあたり、最も正当性が有り、かつ妥当性を有する。(ちなみにこの最初の条約では、樺太については国境が確定できず、両国雑居の地とした)
次に、尖閣諸島の表示。地図発行時点では、まだ米占領下にあるが、日本地図内「南西諸島」エリアの中に、明確に日本領であることを表示し、同時にそこには尖閣諸島も含まれている。
最後に、問題の竹島。これが、日本地図の部の中には含まれていないのだ。本土陸地から離れていることと、竹島自体が岩礁状であり、面積も小さいからであろうか?
ところがどうして、である。日本地図のページには記載されていないものの、世界地図の部の「満州(中国東北部)・朝鮮」、「アジア南部」、「ソビエト連邦」の各エリア表示の中には、きっちり竹島が描かれている。もちろん日本領としてである。
おもしろいのは、「アジア南部」エリアにおいて、小さな竹島はきっちり表示されているのに、尖閣諸島は表示されていない、という点だ。尖閣諸島は、竹島より大きいにもかかわらず、である。
推測するに、この地図発行当時、尖閣諸島はまだ、中国・台湾(中華民国)から特段の領有権の主張がなされておらず、米占領下にあって、当然、日本の潜在主権下にあるのが自明の理であって、あえて表示する意味がなかったからであろう。
これ対して、竹島は、尖閣諸島よりも小さいが、昭和40(1965)年の日韓基本条約締結にあたって、大きな争点となった島であるから、高校教科書地図上に、日本領であることを、あえて表示している、ということであろう。
当時の日本の明確な意思が、この検定済教科書地図帳には、示されている。
(記者:斉喜 広一)
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