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2008年08月17日(日) 13時37分

北朝鮮民主化を語る 「北韓民主化ネットワーク」の韓基弘代表産経新聞

 「左派10年」といわれた金大中、盧武鉉政権下で静かに広がった北朝鮮民主化運動はいま韓国で確かな潮流となった。核を担ったのは80年代学生運動世代。韓国の民主化を目指した彼らが社会主義に挫折、北朝鮮の現実に目覚めたことが原点だ。その活動はいま人権に止まらず政治や教育分野にも広がった。「北韓民主化ネットワーク」の韓基弘代表(47)にこの10年を聞いた。
 ——韓国では、いつから北朝鮮民主化運動が始まったのか
 「アムネスティ・インターナショナルの韓国代表を務めた牧師が1996年、北韓人権市民連合という人権団体を作ったのが最初だ。われわれもその流れをくんでいる。北韓民主化ネットワークの立ち上げは99年だが、実際は2年前の97年から準備に入った。私たちは80年代、韓国民主化運動で過去の権威主義政府に立ち向った。同様に北朝鮮も民主化できないかというのが出発点だ」

 ——金大中政権下でスタートとなったが
 「出発したときは少数の声だった。また北朝鮮の人権をとりまく環境は最悪だった。私と一緒に80年代左派運動をしてきた(親北的な)人たちが政権を握った太陽政策下だった」

 ——どういう経緯で、北朝鮮の民主化運動を始めることになったのか
 「私たち韓国の80年代民主化運動で中核を担った学生たちには大きくいって2つのグループがあった。伝統的マルクス主義を信奉する派閥(民衆民主・PD派)と北朝鮮の主体思想を信奉する主体思想派(民族解放・NL派)だ。私はPDでその後は労働運動の世界に入った。
 しかし冷戦の崩壊後、90年代半ばから脱北者の韓国入りで北朝鮮の現実が次第に明らかになった。とくに主体思想派は《北朝鮮の体制を支援した》という道徳的反省が強かった。彼らは北朝鮮が解放された国であると信じていたため現実を知り《良心的な転向》をしたが、北朝鮮の体制を支持したことが結果的に人民を苦しめることになった。自分が間違っていた、責任を取らなければならない−との思いから北朝鮮の民主化運動に打ち込んでいった」

 ——韓基弘氏はなぜ、学生運動、労働運動を?
 「大学(延世大)で学生運動を始めたのは社会的弱者のために働きかかったからだ。心理学を専攻した。学者になる道もあり父はそれを望んでいた。だが、農村に行けば貧しく暮らしている人がたくさんいた時代だった。何か、誰かのために働く人生を生きなければと思った。80年代、韓国に理念が入ってきた。当時、大韓民国にマルクス・レーニン主義はなかった。だから私は日本語が読める。岩波などでマルクス主義の本を50冊は読んだ。そのように社会主義を学んで、社会主義が壊れていくのを見た」

 ——民主化世代が北朝鮮民主化運動を始めるきっかけとなった出合いは
 「労働運動の世界にいた私は90年代になって主体思想派で地下活動をしていたかつての仲間たちに会った。冷戦崩壊を体験し、彼らの考えも変わっていた。私たちは集まって勉強した。北朝鮮についても勉強した。そして《マルクス・レーニン主義ではだめだ。民族主義は世界化の時代にふさわしくない》《日米と関係をつくり、自由主義市場経済、小さな政府、偏向した韓国の教育の建て直しが必要だ》という結論になった。96年のことだ。それが今日の運動の基礎となっている」

 ——ネットワークの具体的な活動は
 「北韓民主化ネットワークの元には出版部門に季刊誌『時代精神』、北朝鮮の人権問題を扱う『KEY』(季刊、日本語、英語、韓国語)、北朝鮮情報のインターネット新聞『デイリーNK』、対北放送局『自由北韓放送』などの言論機能がある。フルタイムで働いているのは約50人だ。北朝鮮の人権侵害・弾圧を世界に知らしめることがネットワークの活動の目的の中心だからだ。
 もう一つが教育だ。韓国の学生たちに北朝鮮の実態を教えることだ。学生たちへの講義を実施してきた。脱北者に対する講義も行ってきた。人材を育てることが重要だ。
 次に国際団体との連携活動や脱北者の人権団体創設の支援だ。日本の「RENK」(救え!北朝鮮の民衆−緊急行動ネットワーク」や米国の人権団体だ。彼らに運動の方法についてアドバイスし、実際に人員を送ったこともある。しかし彼らが活動を続けることができたのは、彼ら自身が活動を続ける意志を持っていたからだ。私は大学時代から現在まで28年間、運動をやってきた人間だ。左派から右派に変わって13年ぐらいだろうか。組織すること、宣伝をすること。そして北朝鮮人権問題を世界に知らしめる10年だった」

 ——活動は政治分野にも広がった?
 「ニューライト運動は北朝鮮民主化運動から始まった。創立のメンバーは私を含めて3人。みな80年代の民主化運動家出身だ。2004年4月6日、ソウル市内の某所に集まった。
 ニューライトには大学教授や弁護士など各分野から加わった。約200人だ。既存の右派とは違う考えを持った持ちながら金大中政権や盧武鉉政権を批判する人たちだ。政治分野で『自由主義連帯』を作り、教授たちによる『教科書フォーラム』を作った。左翼傾向の強い教師の組合『全教連合』に対する教育運動、政治分野のニューライト運動などの一つに北朝鮮の人権運動を位置づけた。2005年末にソウル市内の新羅ホテルで米国のNGOの支援を得て韓国で初の北朝鮮人権の国際会議を開いて基盤を強くした」

 ——韓国の革新10年は終わった。李明博政権がスタートしたが、その北朝鮮政策はまだ不透明にみえるが
 「李明博政権は過渡期の政権だ。統一・外交分野を担う官僚は過去10年やってきた人たちがそのまま残っている。彼らは金大中(元大統領)や盧武鉉(前大統領)のやり方にあわせたように、今回も現政府のやり方に調子を合わせているだけだ。李明博政権が本当に政策を変えるつもりなら、統一省を解体しなければならなかった。統一に対する長期的な政策はたとえば総理室直轄で準備室を創設すべきだった。いまの金夏中・統一相は金大中政権時に青瓦台(大統領府)で外交安保政策を担当した人物だ。太陽政策を推進した人物が李明博政権の統一相なのだ。過去10年、北朝鮮の金正日(総書記)のために支援を行なってきた統一省の官僚に、金正日体制を弱体化する政策ができるだろうか。産業界ではCEO(最高経営責任者)が変われば、下の幹部も変わる。新しい人間が来なくては新しいマインドの仕事はできない」

 ——対北政策は政府と民間の役割分担が必要なのではないか?
 「これまではわれわれが政府がやるべきことをやってきた。南北関係を長い目でみると、韓国があげられるものをあげ、もらうものをもらうべきだ。生産的な南北関係であるべきだ。人権問題は民間レベルでできるから政府は民間がうまく機能する環境を整え資金援助などで支えて欲しい。非公開パート、情報収集などは政府の仕事だ。対北情報が重要だ。対話し交渉をするためには情報が必要だ。非公開情報のパートはどこの国でもある。韓国は10年間で情報パートが空白になってしまった。もう一度作り直さなければならない。
 現在、李明博政権は対北交渉をやりたかっているが、そのためには総合的な対北政策が必要だ。李明博政権は『非核・開放3000』(核を放棄し改革開放路線を取れば韓国が大型支援を行い10年以内に国民所得3000ドルを実現する)を掲げているが、非核・開放を北朝鮮が言葉通りに実行するというなら韓国政府がやることはひとつない(笑)。北朝鮮はいま、対米関係がうまくいっているから米国についていこうという姿勢を取っている。では韓国はどう北朝鮮に対応しようというのか。原則はまだみえない。何より10年間の影響が政府内に残っている。これまでの対応をみる限り、李明博大統領は北朝鮮のことを知らないーという印象だ」
(久保田るり子)

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