大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決が20日、福島地裁で言い渡される。加藤被告の判断と処置は、医療水準からみて妥当だったのか、それとも注意義務違反に当たるのか。逮捕が、全国の産科医不足を加速させたとも言われる医療界注目の公判の主な争点を整理する。(藤原健作)
女性は、胎盤が通常より低い位置にある「前置胎盤」で、産道につながる内子宮口を完全に覆っていた=図=ため、帝王切開が必要だった。さらに通常は胎児が子宮から出た後、子宮の収縮に伴って自然にはがれる胎盤の一部が、子宮と癒着するまれな疾患で難症例だった。
論告によると、加藤被告は04年12月、この胎盤を手やクーパー(手術用ハサミ)で無理にはがして大量出血を招き、女性を死亡させたうえ、異状死だったにもかからわず、届け出を怠ったとして禁固1年、罰金10万円を求刑された。
◆癒着の部位と程度
業務上過失致死罪の成立には、胎盤をはがせば死亡するほどの大量出血を招くことを予測できたという予見可能性と、大量出血による死亡を回避すべき義務を怠ったという事実認定が必要だ。予見可能性の前提になるのが、胎盤の癒着の部位と程度。一般に癒着が広く深いほど、大量出血する可能性が高くなる。
女性の子宮の前壁(腹側)には帝王切開で第1子を産んだ際の傷跡があり、前置胎盤のため、胎盤がこの傷跡にかかりやすく癒着しやすいリスクがあった。
検察側は、胎盤は傷跡にかかっており、加藤被告も手術前にその可能性を認識していたと指摘。県立医大の病理医が行った子宮の鑑定結果などから、「胎盤は前壁から後壁(背側)にかけて広く癒着していた」と主張。程度についても「相当深かった」とした。
一方、弁護側は、大阪府立母子保健総合医療センター検査科主任部長の「癒着は子宮後壁の一部だけ」という証言から、前回の帝王切開時の傷跡との癒着を否定し、程度も浅かったとした。主任部長の鑑定経験の豊富さも強調した。
◆大量出血の可能性
「強い癒着を認識したのだから、胎盤をはがし続ければ死亡につながりかねない大量出血を生じる可能性を予見できた」。検察側は癒着の深さなどを前提に、そう主張する。可能性を認識した時点については、「遅くとも右手を子宮と胎盤の間に入れて手ではがした時点」とし、胎盤を無理にはがしたことで、直後の総出血量が5000ミリ・リットル以上に達したと主張した。
弁護側は、帝王切開では、胎盤が一見して強く癒着している場合を除き、手ではがし始めるのが通常の処置であり、この時点で大量出血を予見していないことは明らかと指摘。胎盤をはがしている最中の出血量も最大555ミリ・リットルに過ぎず、大量出血はその後に起きたもので、血液が固まりにくくなる疾患を発症した可能性などがあるとした。
◆結果回避義務
子宮と胎盤の癒着を巡る主張が異なる中、最大の争点となっているのは「癒着を認識した時点で胎盤をはがすのをやめ、子宮の摘出に移る義務があったかどうか」。執刀医の判断、処置そのものの妥当性が問われている。
検察側は、加藤被告の自宅から押収した医学書に「無理にはがすのは危険」との記載があったことや、証人の新潟大大学院教授が「はがすのが難しくなった時点で、直ちに子宮摘出に移るべき」と証言したことなどを根拠に、クーパーを使って胎盤をはがし続けた行為を「産科医としての基本的注意義務に著しく違反し、過失は重大」と指弾した。
一方、弁護側は「胎盤をはがし終えることで子宮が収縮し、止血が期待できる」と説明。「いったんはがし始めたら完了するのが、標準的な医療行為」と繰り返し主張した。証言台に立った周産期医療の権威の宮崎大医学部長や東北大大学院教授も「間違いは何もない」などと述べた。また、弁護側は、途中で子宮摘出に移ったケースは公判で1例も示されていないと検察側の主張に疑問を投げかけた。
◆医師法違反
医師法21条は、医師が死体を検案して異状を認めた時は、24時間以内に警察署に届け出ることを義務づけている。
東京都立広尾病院の点滴ミス隠し事件の最高裁判決(04年)で、医療ミスを警察に届け出なければならないことは明確になったが、何をもって「異状」と判断するかの定義は難しい。
検察側は、加藤被告の過失を原因とする失血死であり、異状死は明らかと主張する。
一方、過失を否定する弁護側は加藤被告がそもそも異状を認識しておらず、客観的にも異状死に当たらないと指摘した。また、旧厚生省の指針などは施設長(院長)が届け出るとしており、届け出なかったのは院長の判断とも主張した。
ただ、公判では医師法違反罪を巡る審理には多くの時間が割かれず、議論は深まらなかった。
今回の判決が注目されるのは、医師が逮捕された事件だったこともある。ミス隠しなど悪質なケースでの逮捕は過去にもあったが、県の事故調査委員会の原因調査も終わり、事故から1年以上も経過しての逮捕だったため、医師団体からは抗議声明が相次いだ。
多くの医師が「最善を尽くして逮捕されるなら、手術ができなくなる」と受け止め、2004年ごろから顕著になっていた産科医の減少に拍車をかけたと言われる。元もと産科は、他の診療科に比べて訴訟リスクが高く、昼夜を問わない呼び出しなどで勤務も過酷だ。事件後、各地の病院で産科が閉鎖され、医療機関が難しいお産を避ける傾向も強まった。
厚生労働省では、捜査機関とは別の第三者が原因究明を行う「医療安全調査委員会(仮称)」の創設を目指しており、判決はこの議論の行方にも影響を与えるとみられる。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20080816-OYT8T00002.htm