2008年08月15日(金) 11時08分
ヤマダ到来、家電激戦区がまた誕生(オーマイニュース)
志多組が民事再生法適用の申請をし、北京オリンピックが開幕した8月8日、ヤマダ電機(群馬県高崎市、一宮忠男社長)は、宮崎市花ケ島の国道10号宮崎北バイパス沿いに、複合型店舗「テックランドNew宮崎花ケ島本店」をオープンさせた。
新たなる家電量販店戦争が始まった。
2006年1月、宮崎市は佐土原町、田野町、高岡町と合併した。佐土原町は、宮崎市のベッドタウンとして発展してきた町である。佐土原町と接する旧宮崎市北部は、2000年に全線4車線となった国道10号北バイパスの開通で、花ケ島地区の渋滞は緩和された。しかし、屋外型のゲームセンターやちょっとした複合施設はあったもののバイパス周辺は田んぼが広がり、一向に開発が行われる気配はなかった。
2007年11月、大和リース(大阪市)が宮崎市花ケ島で整備していた大型複合商業施設「フレスポ宮崎花ケ島」が全面開業し、その核店舗として家電量販店の株式会社コジマ(栃木県宇都宮市、小島章利社長)が「コジマNEW宮崎店」をオープンした。コジマにとって、全国229店舗目。1万560平方メートルの敷地に、コジマのほかカー用品店、飲食店など計7店舗プラス、約240台分の駐車場を整備した。
この複合商業施設のオープンで、北バイパス周辺の開発に弾みがつき、今回のヤマダ電機の出店となったのである。商圏人口は、20〜30万人と見られているが、花ケ島地区は一気に家電量販店激戦区となった。
ところが、宮崎市の家電激戦区はここだけではない。
宮崎市新別府(しんびゅう)町には、97年に100満ボルト(福井県福井市、柴田清一郎社長)が「100満ボルト宮崎東店」をオープン。このすぐ近くに、ヤマダ電機の「テックランド新宮崎本店」がある。PC館と家電館の2棟で構成されている。
また、県道11号(通称・山崎街道)をはさんだ反対側には、05年5月にオープンした「イオンモール宮崎」(千葉県千葉市、村上教行社長)がある。
イオンモールはともかく、商圏人口がさほど多くない宮崎市および近郊において、家電量販店の激戦区が2か所もある。そのどちらにもヤマダ電機が出店している。消費者からすれば家電製品の購入場所が増えたことはうれしいが、果たして大丈夫なの? と思ってしまう。
そこで、「テックランドNew宮崎花ケ島本店」に出掛けた。
夏休みということもあり、駐車場は満車状態であった。店舗に入ると驚いた。売られているのは家電製品だけではなかった。エスカレーターを上がった2階は、携帯電話・PC・テレビ売り場のほかに、書籍売り場もあった。普通の書店と変わりない品ぞろえで、立ち読みではなく、ゆっくりと読めるようにイスとテーブルも用意されている。
さらに3階は、一般の家電品売り場のほかに、日用品・雑貨・食料品売り場、時計・陶器売り場、キッチン用品売り場など、「ここはショッピングセンター?」と間違えるような品ぞろえであった。
「普通のヤマダ電機と思ってやってきましたが、本や食料品も買えるので、また足を運ぶと思います」(20代男性)
「驚きましたね。ヤマダ電機で食料品が買えるとは。近くにコープがあるので、それを意識したのでは」(40代女性)
「よそとは違うことをして人目を引くのは一時期だけではないでしょうか」(60代男性)
など、訪れた人の声はさまざまだった。
宮崎は遊ぶところが少なく、休日には家電量販店巡りをする家族も少なくない。今回、家電製品だけではなく、書籍、日用雑貨、食料品、時計などショッピングセンター並の品ぞろえで勝負に出たヤマダ電機。果たして、消費者の心をつかみ、花ケ島地区の激戦区で生き残ることができるだろうか。
(記者:大谷 憲史)
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