記事登録
2008年08月14日(木) 11時13分

平岡熈(ひろし)を知っていますか(2)〜野球体育博物館で見た肖像画オーマイニュース

 平岡熈(ひろし)の生涯は、掘り起こせば掘り起こすほど、エキサイティングでおもしろい。

 読売の切り抜きを読んで、しばらくして、平岡熈(ひろし)の肖像にひと目逢いたいと思った。そこで、東京ドーム21ゲート右の「野球体育博物館」を訪ねた。

ほかの写真を見る

 入場券を買って、地下階の展示場に続く階段を下りると、最初に目に飛び込んでくるのは、現役を終えた野球選手の汗とドロが染み込んだユニフォーム。

 ここが、あの、球界に貢献した人たちが『殿堂入り』するたびに新聞・テレビなどで紹介されるところか……。展示物をひとつ、ひとつ眺めていく。日本の野球の歴史がこちらに押し寄せてくるようだ。

 1枚の古い写真に釘付けになった。野球チームの集合写真だ。

 帽子をかぶり口ひげを生やした長身の外国人と一緒に映る、帽子、蝶ネクタイ、白地のユニフォーム着た日本人たち。ガラスケースに額をすり寄せて、じっと見る。

 写真の下には「新橋アスレチック倶楽部」と書かれてあった。そして「平岡熈」の名前があった。探し求めていた人がいた。

 まだ明治13年(1880年)。当時、野球をする日本の若者たちのいでたちは、暑いときにはふんどし1本、寒いときは羽織袴(はおりばかま)に、ゲタ履き。

 普通の洋服でさえ珍しいのに、この20人以上の若者たちのお揃いのユニフォーム姿は、さぞや周囲を驚かせたことだろう。平岡たちは、さっそく銀座の写真館「二見館(ふたみかん)」(当時 東京銀座2丁目10番地)に行き、意気揚々と記念写真を撮った。それが、この写真である。

 写真後方の長身の外国人は、アウル・ウォード氏。イギリス人で、帽子のツバを現代風に折り曲げ、格好良い。一方、日本人選手の帽子のかぶり方は、まだ何となくぎこちない。その中で、平岡熈は、無帽で、中央に鎮座し、いかにも「自分がリーダーだ」といわんばかりの存在感だ。

 もう少しクローズアップした彼の顔が見たいと思って、館内を探索した。

 ふと気が付くと、立派な額に収まった2人の「おじいさん」の肖像画があった。左側は、見覚えのある顔だ。メガネをかけ、短髪で温厚そうな顔。ネームプレートには「正力松太郎」。その堂堂とした風格に、さすがと唸らずにはいられなかった。

 で、右側はだれか。和服姿で腕組みをして、頭は白髪まじりの、“野球好きのおじいさん”といった感じの人物だ。ネームプレートには……なんと「平岡熈」。まさにその人だった。

 晩年の彼もなかなか粋でいい。肖像画の彼は、腕組みをし、「俺は自信を持ってやってきたんだ」と言いたげな表情だ。改めて、惚れ直した。時間を忘れて、見惚れた。念願の人に逢えてほんとうに良かったと思った。

 これを機会に、平岡熈を徹底的に掘り起こしてみようと心に誓った。

【記者注】2008年現在、「野球体育博物館」では、平岡熈の油絵肖像画は取り外されている。「野球殿堂」に平岡熈のレリーフが飾られ、その「顕彰文」の末尾には「日本の野球の祖」と書かれている。

(全7回予定、つづく)

(記者:鈴木 康允)

【関連記事】
鈴木 康允さんの他の記事を読む
【関連キーワード】
野球

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080814-00000001-omn-base