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2008年08月04日(月) 19時04分

新・B型肝炎訴訟〜ぼくらの世代間戦争〜オーマイニュース

 7月30日、B型肝炎ウイルス(HBV)に感染したのは乳幼児期に受けた集団予防接種での注射器の使い回しが原因として、B型肝炎患者・ウイルス感染者と遺族ら67人が全国6地裁に提訴した。国(厚生労働省)に対して先の「薬害肝炎訴訟」と同等の損害賠償を求めるもので、「B型肝炎訴訟」の追加提訴である。これにより、原告総数は113人となった。

 そもそも「B型肝炎訴訟」とは、1989年に原告5人が札幌地裁に提訴したものであり、2006年6月に「原告完全勝訴」の最高裁判決が出て一度は終結している。しかし、その後2年近くたっても原告らが求めていた患者全般に対する支援策が全く取られなかったことから、3月28日に別の原告5人が札幌地裁に提訴して再開されたものである。

■失われた世代

 過去の札幌訴訟では、原告代表の木村伸一さんが1964年生まれ、最年少の亀田谷和徳さんが1983年生まれであり、この中間の世代の原告を立てることができなかった。同じ1989年に提訴された薬害エイズ訴訟で、当時10代だった川田龍平氏(現参議院議員)が見せた活躍とは対照的である。この長らく原告不在だった世代(現在は30歳前後)に、多様な問題が集中しているものと考えられる。

 輸血用血液については、HBVスクリーニングが  1972年から実施されている。すなわち、この時期にはウイルス検査手法が一般に普及していた。一方で、出産時の母子感染対策事業が始まったのは1986  年ごろのことになる。この間に生まれた世代は、既知のウイルスに対して無対策のまま生まれ育ったことになる。

 薬害肝炎訴訟の中で政府批判に用いられた「418リスト」の中には、実は血液製剤からHBVに感染したとおぼしき事例も含まれていた。1977年ごろ以降にアメリカからの製剤や原料の輸入が急増しており、この時期に米国産HBVに感染した被害者が少なからずいるのではないか、という推測は過去に記事で示した。当時の新生児が感染被害にあっていたとすれば、この世代が大人になった90年代後半に欧米型HBVの報告例が急増したこととも符合する。

 また、2002〜2006年度にかけて大規模な肝炎ウイルス検診が行われたが、その対象者は原則40歳以上と限定されており、この世代は対象とはならなかった。

 先陣を切った札幌原告団が清本太一さん(31)、今後主力となるであろう東京原告団が桜井則子さん(34)を立てたことで、こうした背景が取り上げられる機会が増えることに期待したい。

■東京にもあったんだ

 計画段階から約20年を経て、ようやく今回初めて提訴したばかりの東京原告団が「今後主力となるであろう」と書いたのには、理由がある。

 私は5年ほど前から、薬害肝炎訴訟やハンセン病訴訟などの周辺事例についても独自に調べていたが、その結果として東京原告団・弁護団の役割が非常に大きいことがわかった。こうした事例では、東京で原告団・弁護団が報道機関を動員して政治家を動かす様子が再三にわたって確認されており、訴訟自体の結果とは関係なく政治決着による救済立法を引き出している。

 最高裁で完全勝訴を得ても判決以上の成果は得られないが、国賠訴訟に負けても国会を動かして超法規的救済措置を引き出すことはできる。これが私の観察の結果である。

 国側は先の薬害肝炎訴訟と同様、事実関係について個別に争い消耗戦に持ち込む構えを見せているが、これは場外乱闘の機会を増やす対応でもあることを私たちは知っている。遠くない将来に劇的な動きがある可能性も少なくない、と期待をこめて書いておく。

  ◇

 遺族として原告になった坂岡佳子さん(70)は、1999年に長男の毅さん(当時32)をB型肝炎による肝がんで亡くしている。(旧)B型肝炎訴訟が長期化していた間の犠牲者であり、また「早ければ30代で命を落とすことも少なくない」ことを実証してしまっている。

 「後期高齢者」と呼んだだけで人殺し扱いされるご時勢に、その半分ほどの年齢で喪(うしな)われていく無数の罪なき命をどう思われるか。すでに30歳を過ぎた私もまたこの余命を賭けて、日本人の真価を問いたい。

【記者注】記者はHBVキャリア(持続感染者)ですが、B型肝炎訴訟原告と直接の関係はありません。

(記者:渡辺 亮)

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