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2008年08月03日(日) 00時56分

赤塚不二夫さんが死去 ギャグ漫画で絶大な人気中国新聞

 「天才バカボン」「おそ松くん」などのギャグ漫画で絶大な人気を集めた漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名藤雄=ふじお)さんが二日午後四時五十五分、肺炎のため東京都文京区の順天堂医院で死去した。七十二歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は東京都新宿区中落合一ノ三ノ一五。葬儀・告別式の日取りなどは未定。喪主は長女りえ子(りえこ)さん。

 二〇〇二年に脳内出血で手術を受けて以来、闘病生活を続けていた。

 終戦後間もなく旧満州から引き揚げ、奈良県、新潟県で少年時代を過ごした。中学卒業後、漫画家を志し、手塚治虫てづか・おさむさんを慕って上京。東京都豊島区のアパート「トキワ荘」で無名時代の漫画家、石ノ森章太郎いしのもり・しょうたろうさん、藤子不二雄ふじこ・ふじおえーさんらと暮らし、共に腕を磨いた。

 一九五六年、少女漫画「嵐をこえて」でデビュー。六二年から週刊少年サンデーに連載した「おそ松くん」が大ヒットし、以後、週刊少年マガジンの「天才バカボン」のほか、「もーれつア太郎」などの人気作を連発。イヤミ、バカボンのパパ、ニャロメなどのキャラクターを生み出す一方、「シェーッ」「これでいいのだ」などの流行語を量産した。「ひみつのアッコちゃん」など少女漫画でも活躍。主要作品はテレビアニメ化された。

 自由奔放でいてシャイな人柄は漫画のキャラクター同様、多くの人から愛された。タレントのタモリさん、前東京都知事の青島幸男あおしま・ゆきおさんら交友関係も幅広かった。

 九八年には紫綬褒章を受章、二〇〇三年東京都青梅市に「青梅赤塚不二夫会館」がオープンした。

 九八年に食道がんの手術をしたが、その後も各地で作品展を開催。視覚障害児向けの絵本も制作した。二〇〇二年、検査入院中に脳内出血を起こし、周囲への反応がほとんどない状態が続いた。妻真知子まちこさんの付き切りの看護で、呼び掛けると顔を向けようとするまでに回復したものの、〇六年には真知子さんがくも膜下出血のため急死した。

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http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200808030123.html