「天才バカボン」「おそ松くん」など、戦後ギャグ漫画を代表するヒット作で「ギャグの神様」と呼ばれた人気漫画家の赤塚不二夫(あかつかふじお)(本名・藤雄)さんが2日、都内の病院で死去した。
72歳だった。喪主は長女、りえ子さん。
旧満州(中国東北部)生まれ。終戦時、特務警察官だった父がシベリア抑留され、一家は奉天(現・瀋陽)から母の郷里・奈良県大和郡山市に引き揚げ、貧しい少年時代を送った。
12歳の時に手塚治虫の「ロスト・ワールド」に衝撃を受け、中学卒業後、父の郷里の新潟で看板会社に就職するが、漫画家を志し1953年に上京。薬品工場に勤めながら雑誌「漫画少年」に投稿を続ける。デビュー作は56年、貸本少女漫画「嵐をこえて」。同年より、石ノ森章太郎、藤子不二雄氏らポスト手塚世代の若手漫画家が集った東京・豊島区のアパート「トキワ荘」の住人となった。
雑誌デビューは58年「まんが王」(秋田書店)連載の「ナマちゃん」。顔がそっくりな六つ子が主人公の「おそ松くん」は、62年から「週刊少年サンデー」(小学館)に連載され、登場人物イヤミの「シェー!」の奇声や珍妙なポーズ、デカパンやダヨーンなど奇人変人のキャラクターが大人気となり、66年のテレビアニメもヒットした。
「これでいいのだ」が口癖のバカボンのパパが活躍する代表作「天才バカボン」は、67年、「週刊少年マガジン」(講談社)でスタート。また、同年から少年サンデーで始まった「もーれつア太郎」では、言葉をしゃべり人間の女性に恋するネコ、ニャロメが社会現象になるほどの人気を博した。
漫画家としての人気もこのころ絶頂期で、過激でナンセンスな赤塚ギャグは、70年安保世代の屈折した心情にカタルシスを与える漫画として、文学者や知識人層からももてはやされた。その他のヒット作に「ひみつのアッコちゃん」「ギャグゲリラ」「レッツラ・ゴン」など。「バカボン」は3度テレビアニメ化されたほか、94年には自伝「これでいいのだ」がNHKドラマ化された。
65年「おそ松くん」で小学館漫画賞。72年「天才バカボン」などで文芸春秋漫画賞。97年、日本漫画家協会文部大臣賞。98年、紫綬褒章。97年には「赤塚不二夫展」を上野の森美術館で開催、2003年には東京都青梅市に青梅赤塚不二夫会館が開館した。
私生活でも、漫画を地でいく奇行とタモリさんら芸能人らとの多彩な交遊で知られ、最近はタレントやプロデューサー、エッセイストとしても活躍していた。
97年暮れに吐血して食道がんと診断され、98年暮れに手術した後も、対談やエッセーなどを精力的にこなす傍ら、視覚障害者のための絵本「よ〜いどん!」(小学館)をヒットさせた。02年に脳内出血で倒れ、闘病していた。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080802-OYT1T00734.htm