2008年07月30日(水) 12時00分
ついにビル・ゲイツが引退 そのスゴイ業績を振り返る(R25)
ビル・ゲイツ。コンピュータによる情報革命の到来を予感し、名門ハーバード大学を中退。「どの家庭にも一台のコンピュータがある」、そんなビジョンを掲げてマイクロソフト社を設立した男は、52歳の若さにして経営の一線から退いた。
「引退後は慈善活動に専念するようですが、非常にアメリカ人らしいですね。富豪や有名人には社会的責任が生じる、というのが彼らの考え方ですから。僕がゲイツ氏の物語を描いたのは1982年のことですが、当時の彼には“アメリカンドリームの具現者”というイメージがありました。彼のような若者の生き方を許すアメリカの度量をうらやましく思ったものです」
そうコメントしてくれたのは、ゲイツのR25時代を描いたことがあるマンガ家・すがやみつるさん(57歳)。同世代のトップランナーが引退したことで、感慨もひとしおのようだ。ではここで、ゲイツのR25時代を駆け足でプレイバックしてみよう。
10代からビジネスで成功を収めていたゲイツは20歳でマイクロソフトを創設。「36時間やそれ以上ぶっつづけに仕事をし(中略)五年間でニ、三日の休暇を二度とっただけ」(『ビル・ゲイツ』翔泳社より)というほど仕事にのめり込む。そして、ついにコンピュータ産業の王者・IBM社とOS開発契約を交わし、マイクロソフトはOS「MS-DOS」を完成させた。時に1980年、ゲイツはジャスト25歳。
業界の標準OSとなり、マイクロソフトを大ブレイクさせた「MS-DOS」以降も、パソコンを劇的に使いやすくしたOS「ウィンドウズ」、WordやExcelなどを次々に発表して右肩上がりの急成長。勢いのまま、1986年にはニューヨーク株式取引所でマイクロソフト株が一般公開を果たすことに。この時点でゲイツが所有していた株の時価総額は実に3億5000万ドル以上! 31歳の彼は「自力で財を成した最も若い億万長者」として名をとどろかせ、以後は若き経営者として頂点を極めていく——。
う〜ん、あらためて振り返ってみると、その業績はスゴすぎる。彼がR25時代に抱いた「どの家庭にも一台のコンピュータがある」未来像は、インターネットの浸透を経てほぼ現実のものになっているし…。
ビル・ゲイツの引退。それは、コンピュータが普及期から成熟期へと進んだことを示す、ひとつのマイルストーンとして記憶されるのかもしれない。
(R25編集部)
※コラムの内容は、フリーマガジンR25から一部抜粋したものです
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