思いたったら、いてもたってもいられなくなる。
2000年7月。地元の群馬県高崎市でバスガイドをしていた田胡(たご)直子さん(29)は、「とらや」のモデルになった葛飾柴又の「高木屋老舗」の店先に立った。
「ここで働きたいんです」
21歳の若い女性が突然、団子屋に就職したいと飛び込んで来たのだから、高木屋の石川宏太社長(55)も驚いた。聞くと、寅さんの大ファンなのだという。明るくて人柄もよさそうだし、何よりその熱意に押され、石川社長は採用を決めた。
もの心ついたころから、父の好きな「男はつらいよ」をテレビで見て、日本中を旅して回る寅さんや、故郷に戻った寅さんを温かく迎える柴又の人たちが大好きになった。バスガイドとして何度も柴又を訪れるうちに、寅さんのゆかりの場所で働きたいという気持ちが抑えられなくなり、柴又ツアーの仕事中、制服のまま飛び込んだのである。
しかし、両親や周囲が転職に賛成する訳がない。勤務先の社長からも「いくら好きだといったって、夢と現実は違う!」と、どこかで聞いたようなセリフを投げつけられた。両親の猛反対を押し切り、軽自動車に家財道具を積み込むと、柴又のアパートに越してきた。高崎から3時間。ハンドルを握りながら、「まるでケンカしてとらやを飛び出す寅さんみたい」と思った。
ほれやすいのも、寅さんに似ている。
バスガイドになろうと決めたのは、小6の時に家族で行ったバス旅行で運転手に一目ぼれしたのがきっかけだった。
高木屋では、団子作りや売り子の仕事だけでなく、ガイドの経験と映画の知識をいかし、同店初の「観光案内係」も務めた。店を訪れる団体客を相手に、元気な声で帝釈天や葛飾柴又寅さん記念館を案内するかっぽう着姿の女性の姿は、柴又の名物になった。
だが、この仕事は8か月しか続かなかった。今だから言うが、実はお店で働いていた男性に恋をした。ところが、彼がほかの女性と仲良く話すのを見て、お店を去った。
「結局、相手の立場などを考え過ぎて、恋が成就しないのは、寅さんと同じですね。友だちには『寅子』なんて呼ばれています」
次に選んだ職場は、足立区にあった松竹観光バスというバス会社。ハローワークでバスガイドの仕事を探していた時、「男はつらいよ」を制作した松竹と同じ名前を見つけ、「これだ」と思った。その後、幾つかの会社を転々として、現在は新潟県南魚沼市のバス会社に勤務している。
「新しい出会いを求めて新天地を目指す生き方も寅さんに影響されているのかも」と、田胡さんは笑う。
バスツアーで寅さんが旅した地を訪れる時は、必ず解説を入れる。「今、向かっている長野県小諸市は『寅次郎サラダ記念日』の舞台で〜す」なんて具合だ。「男はつらいよ」シリーズは観光バスの車内で流すビデオの定番。
「実は私、寅さんの実家のモデルになった団子屋で働いていたんですよ」と打ち明け、映画のシーンや渥美清さんのエピソードなどを紹介していくと、ツアー客はその話に引き込まれる。「信州信濃の新ソバよりも、あたしゃあなたのソバがよい」。映画に登場するせりふもふんだんに取り入れて客の心をつかむ。
「寅さんが好きと言っても、それを生かせる仕事はそうそうない。バスガイドは天職なのかも」
つらいことがあった時は、決まって寅さんのビデオを見る。全48作中、一番のお気に入りは第31作「旅と女と寅次郎」。タイトルがいい。全国を回るバスガイドの自分を表しているような気がする。
この映画で、寅さんは、都はるみさんが演じる人気歌手と佐渡を旅するが、相手の立場を考えて、身を引こうと決意する。佐渡の海岸でもの悲しそうに彼女を見つめる寅さんが切なく、何となく自分の失恋体験と重なるように思えるのだという。
「寅さんがいなければ、ガイドの仕事は続けていなかっただろうし、元気に生活している今の自分も考えられない」。いまだ独身。風に誘われて旅行をするのが好きだ。今も仕事を休んで、北海道を一人旅している。