2008年07月30日(水) 11時46分
読者レビュー◇『格差社会と教育改革』 刈谷剛彦・山口二郎 著(オーマイニュース)
教師たちの多忙化が言われて久しい。社会学者で教育の経済格差を早くから問題視して研究を進める刈谷剛彦は、その原因をポジティブリストの発想にあるという。
最低限教えることを取り決めてその後は現場裁量にするのではなく、いいと思うものは何でも付け加えていく今の教育は、受容能力を超えてアップアップの状態を招いている。
現在で言えば、環境教育、租税教育、安全教育、食育、エイズ教育、等々。それらは時代の要請の中でリストの中にどんどん付け加えられていく。
週の正規の授業時数を与えられたリストもある。情報教育(IT)、英語教育である。グローバル経済を背景として日本全国それを必要としないと思われる地域まで要請される。予算も増やさず条件整備もしないままにこのポジティブリストを増やしていく状態では当然のこととして、何かが中途半端になる。
PISA、全国学力テストの結果に一喜一憂する日本の教育政策は、現場への要請ばかりで朝令暮改の様相である。
刈谷の現状分析は、国から財源を移譲した地方公共団体の予算に及ぶ。
本来、多くの財源を持つ県ほど教育費は多くなるはずである。しかし「標準法の世界」(「義務教育における学級定員及び教職員標準法」にちなんで刈谷が命名)では、現在40人学級を基準に人員配置をしている。
過疎地を抱える地方ほど少人数でも教室を設置しなければならず、当然の結果として教育にかける費用の比率は高くなる。
その中で教育再生会議が提唱するバウチャー制による学校予算配分のめりはりは、たくさんの子どもを集めた都市の学校では良いとしても、集められずに予算を減らされた学校はどうなるのか、過疎地の学校にとっては統廃合が進むのを避けられない。
公教育の中にも格差が広がっていくことに刈谷はここでも警鐘を鳴らしている。
ブックレットの2部では、社会学者・刈谷と政治学者・山口二郎の対談である。こうした現状分析を踏まえて、日本の教育の姿が今後どうあるべきなのかを語っている。これまで改革すべきと見えた日本の教育が、本来の平等性の確保という視点から、逆に守っていかなければならないものであったという認識を示し、また、再生会議の提言の中にも、日本独自の教育の良さを作る上で話し合う価値を十分持つものがあると述べている。
そして当たり前のことと断りながら、「教育というのは影響が出るのに時間がかかるのだということを本当に真面目に考えるべきです」と言う。
小さいころは真面目で素直だった子どもたちが、自我を持ったとき、親に復讐するかのような凶悪犯罪を犯す。優等生だった子が燃え尽きたように閉じこもる……。短いタームで見れば問題のないことが、何年も経てその価値を逆転させるような事態が今、社会現象としてひたひたと進んでいる。
もちろんプラスの意味でもこうしたことはあるだろう。教育によってすべてを管理できると思うことは恐ろしいことである。
この教育への2人の学者の想いを読みながらわたしたちにできることは何なのか考えてみたい。それは決して自分の子どもだけが良い学校良い会社に進むことではないのは言うまでもないことである。
時間のかかる教育と言う仕事に家庭、学校、社会(政治)、それぞれが子どもを見つめながら向き合って行きたい。
岩波ブックレット726
2008年6月5日
480円(税別)
(記者:曽野 千鶴子)
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